ガルシア=マルケス「失われた時の海」(木村榮一 訳)

「この海から遠く離れたところで死にたい、ずっとそう思いつづけてきたんです。ここでバラの香りがするなんて、きっと神様のお告げにちがいありませんわ。もし死ぬのなら、なにか前兆がありますようにとお祈りしてきたんですもの」
 少し考えたいから、時間をくれないか、ヤコブ老人はそれだけしか言えなかった。人は死ぬべき時でなく、そう願った時に死ぬものだと聞いていたので、妻のことばがひどく心にかかった。その時が来たら、果たして自分は妻を生きたまま埋葬できるだろうか、と考えた。