鈴木大拙「東洋「哲学」について」

東洋では霊性的美の欠けたものを、ほんとうの美とは見ないのである。霊性的生活から遊離した美は、ただそれだけのことで、それ以上には何の意味をも持たない。茶人は、床の間に、何もおかずに、まだ開きもせぬ一枝の花をそのまま、何の飾りもない花瓶の中に入れて、壁にかけておく。この蕾に、天地未だ分かれざるとき、いわゆる神が「光あれ」といった、そのままの光の影がうつって見える、といったら、今日の東洋の人々は、これを肯うか、どうか。