芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」

僕は前にも言ったように「話」のない小説を、――あるいは「話」らしい話のない小説を最上のものとは思っていない。しかしこういう小説も存在し得ると思うのである。
 「話」らしい話のない小説は勿論ただ身辺雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。しかも散文詩などと呼ばれるものよりも遥かに小説に近いものである。僕は三度繰り返せば、この「話」のない小説を最上のものとは思っていない。が、もし「純粋な」という点から見れば、――通俗的興味のないという点から見れば、最も純粋な小説である。もう一度画を例に引けば、デッサンのない画は成り立たない。(カンディンスキイの「即興」などと題する数枚の画は例外である。)しかしデッサンよりも色彩に生命を託した画は成り立っている。幸いにも日本へ渡って来た何枚かのセザンヌの絵は明らかにこの事実を証明するのであろう。僕はこういう画に近い小説に興味を持っているのである。