鎌田慧『自動車絶望工場』

そうだ、覚えるということは、理屈ぬきで体得すること、つまりコンベアのスピードに間に合うということでなければならないのだ。しかし、もともと、労働の仕方は労働者に属し、どのようにして作ったとしてもそれは勝手であり、むしろそれぞれの個性にもとづいて作り方はちがう筈のものだったのだ。ところが、もっとも早く出来る方法はひとつしかないし、その決められた「標準作業」システム、教えられたとおりの手順でなければ間に合わないのが現実なのだ。つまり動きを機械的にする必要があるし、それに馴れなければならない。馴らされ、時間に合うようになるのだ。それは理不尽な強制であり、身体による、理屈抜きの「暗記」なのだ。