(松尾芭蕉『三冊子』)

松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ
 物に対するとき、私意私情を捨てなければ、その物の本質がみえてこない。心にそのものの句となるべき機微が光りあらわれない。私意を離れ去って物を見るとき、松には松の、竹には竹の、それぞれの物に固有の本情・本質がみえてくる