道元『正法眼蔵』

時節若至(にゃくし)というは、すでに時節いたれり、なにの疑著(ぎちゃく)すべきところかあらんとなり。
〈解釈〉「時節がもし至れば」というのは、事実としては時節はもうとっくに至り現れていて、いささかも疑うべきところはない、ということなのである。