牛頭法融『絶観論』

一切衆生、若し空理を解すれば、実にまた道(どう)を修(しゅ)するを仮(か)らず、只(ただ)空(くう)に於いて空ぜざるが為に、有惑(うわく)を生ず。
〈解釈〉あらゆる人々が、もしも空の理法を理解しているならば、実際には道を修する必要はない。ただその空を空じないからして、有とする迷いを起こしてしまうのだ。