ドストエフスキー『罪と罰』(工藤精一郎 訳)

「その態度が、けたくそわるいというものですよ! あなたは自分を信じられなくなってしまったから、わたしが下手な嬉(うれ)しがらせを言ったみたいに、考えるんです。あなたはこれまでどれだけ生活して来ました? どれだけのものごとを理解しています? 一つの理論を考え出したが、それが崩れ去り、ごく月並な結果になったので、恥ずかしくなった! 卑劣な結果に終ったこと、それは確かだが、でもやはりあなたは望みのない卑怯者ではない。決してそんな卑怯者じゃない! 少なくともいつまでもぐずぐず逆らっていないで、ひと思いに最後の柱まで突進した。わたしがあなたをどう見てると思います? わたしはあなたがこういう人間だと思っているのです、信仰か神が見出されさえすれば、たとい腸(はらわた)をえぐりとられようと、毅然として立ち、笑って迫害者どもを見ているような人間です。だから、見出すことです、そして生きていきなさい。あなたは、まず第一に、もうとっくに空気を変える必要があったのです。なあに、苦しみもいいことです。苦しみなさい。ミコライも、苦しみを望むのは、正しいことかもしれません。信じられないのは、わかります。だが、小ざかしく利口ぶってはいけません。ごちゃごちゃ考えないで、いきなり生活に身を委ねることです。心配はいりません、――まっすぐ岸へはこばれ、ちゃんと立たせられます。どんな岸ですって? それがどうしてわたしにわかります? わたしは、あなたにまだまだ多くの生活があることを、信じているだけです。あなたがいまわたしの言葉をそらおぼえのお説教と思っていることも、わかります。でも、いつかは思い出し、役に立つこともあるでしょう。そう思えばこそ、こうしてしゃべっているのです。あなたは老婆を殺しただけだから、まだよかった。もし別な理論でも考え出していたら、下手すると、まだまだ千万倍も醜悪なことをしでかしていたかもしれません! これでも、神に感謝しなきゃいけないのかもしれませんよ。どうしてわかります、ひょっとしたら、神はそのためにあなたを守ってくださるのかもしれん。大きな心をもって、できるだけ恐れないようにすることです。偉大な実行を目前にして怯気(おじけ)づいたのですか? いやいや、ここまで来て尻込みしては恥ですよ。あのような一歩を踏み出したからには、勇気を出しなさい。そこにあるのはもう正義ですよ。さあ、正義の要求することを、実行するのです。あなたが信じていないのは、わかっています。が、大丈夫です、生活が導いてくれます。いまに自分でも好きになりますよ。いまのあなたには空気だけが必要なのです、空気です、空気ですよ!」