森鷗外「影」

男。併(しか)し影が形に添ふやうに妬(ねたみ)は戀(こひ)を離れない。現在に妬むべき事がなければ、未來に妬むべき事を求める。未來に妬むべき事がなければ、過去に妬むべき事を求める。男が妬まなければ、女が妬む。女が妬まなければ、男が妬む。戀の相手の心の中(うち)には、X(エツクス)の存在してゐることを許したくない。ところが、人と人との間には、縦(たと)ひどんなに打ち明けても、一しよに死なうと誓つても、本當に一しよに死んでも、破ることの出來ない鐵壁(てつぺき)の隔てがある。その鐵壁を無理にどうにかして破らうとするのが妬だ。妬むのと妬まれるのとは氣質次第だ。どうしても妬なしには濟(す)まないのだ。