H.S.クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか――現代のヨブ記』(斎藤武 訳)

 だれもが悲しみを知っているという意味において、兄弟姉妹なのです。悲しみや苦しみをまったく知らない家庭から訪ねてくる人はいません。人が慰めに、あるいは手をさしのべに来てくれるのは、その人もまた、人生の悲しみや痛みを知っているからなのです。
 苦しみをお互いに比較しあうようなことはすべきでないと思います。(「あなたは、自分ではたいへんな問題に直面していると思っているのですね? 私の苦しみを聞かせてあげましょう。あなたの苦しみなんて楽なものだということがわかるでしょう」)。このような競争からは、なんの良いものも生まれません。これでは、子供のころのそもそもの競争心や嫉妬心と変わらない、不健全なものです。悲しんでいる人は、悲しみを競うオリンピックに招待されることを望んでいるわけではないのです。
 でも、つぎのことを忘れないでいれば、助けになるでしょう。すなわち、苦悩や悲痛は世界のすべての人に平等に配分されているわけではないけれど、きわめて広範囲にわたって配分されているということです。だれもが、苦しみや悲しみを味わっているのです。もし事実を知ったなら、羨むべき人生を送っている人など、ほとんどいないことがわかるでしょう。