カント『判断力批判』(篠田英雄 訳)

 逞しい情緒(即ちどんな抵抗でも克服しようとする力の意識を我々のうちに励起させるような情緒は、美学的崇高である。例えば激怒や、それどころか絶望(しかしめいった絶望ではなくて激越な絶望)すらこれに属する。これに反して懦弱な情緒(抵抗しようとする努力をすら不快の対象にするような情緒には、いささかも高貴なところがない、しかしそれでも心情の美と呼ばれることがある。ところで感動が高まると情緒になり得る。しかし感動にもいろいろある、それだから雄々しい感動をもつ人もあれば、また優しい感動をもつ人もある。優しい感動が昂じて情緒になると、かかる感動はまったく用を為さない、そしてこのような感動への性向は感傷と呼ばれる。他人の身の上を憂える同情的な苦〔同苦〕は、癒されることを欲しない、そしてかかる苦が架空の害悪に関するものであれば、我々は想像によってこれをあたかも実際の害悪であるかのような錯覚に仕立てて、ことさらに苦痛を味わおうとする。このような同苦の感情は柔和な、しかしそれと同時にまた弱々しい心の証拠であり、またかかる心を育てることにもなる。このような心は、確かに美わしい一面を示しはするが、しかし空想的と呼ばれ得るにしても、決して熱情的などと呼ばれ得るきわのものではない。小説、涙を催させるような戯曲、浅薄な修身訓などは、いわゆる高尚な(しかしこれを高尚と呼ぶのは誤りである)心意をもてあそぶものであり、実際には我々の心を萎えさせて義務の厳格な指定に無感覚ならしめ、また人格としての我のうちにある人間性の尊厳と人間の権利(これは人間の幸福とはまったく異なるものである)とに対する尊敬の念を不可能にするばかりでなく、一般に確乎たる原則の確立をも不可能にするのである。

   ※斜体は出典では黒丸点、太字は出典では傍点