カント『純粋理性批判』(篠田英雄 訳)

 人間の自然的性質には、何か知ら不純なものがある。しかしこの不純とても、自由に由来する一切のものと同じく、結局はすぐれた目的を実現する素質を含んでいるに違いない。ところでその不純というのは、自分の本当の心意を押し隠して、世間から善良であり立派であると思われるようないわば装われた心意をひけらかそうとする傾向である。人間が、自分の真意を隠しまた自分に有利な外見を装うというかかる傾向によって自分自身を教化してきたばかりでなく、また或る程度まで次第に道徳的に仕立ててきたことは確かである。誰にせよ礼儀、正直、端正な行状などという粉飾を見破り得るものではない、そこで自分の周囲にいくらでも見られる善の実例なるものを、これこそ真正の範例であると思い込んで、ここに自分自身を改善する学校を見出すからである。とはいえ自分が実際に在るところのものよりも自分をよく見せよう、また実際にもっていもしない心意を表白しようとするかかる素質でも、人間を粗野な状態から脱却させ、また彼の心得ている善なるものの少くとも体裁をまずととのえるために、いわば間に合わせだけの役には立つのである。あとで真正の〔道徳的〕原則が現われて、これが心構えのなかへ入ってくれば、これらの虚偽は次第に克服されるのである。さもないとかかる虚偽は人心を腐敗させ、また善良な心意を立派な外見という雑草で抑えつけ、その成長をはばむにいたるからである。

   ※太字は出典では傍点