薛濤「海棠溪(かいだうけい)」(全) (辛島驍)

春は 風景をして 仙霞を駐まらしめ、
水面の魚身 總て花を帶ぶ。
人世 思はず 靈卉の異を、
競って 紅纈を將って輕沙を染む。


はるは ふうけいをして せんかをとどまらしめ、
すゐめんのぎょしん すべてはなをおぶ。
じんせい おもはず れいきのいを、
きそって こうけつをもってけいさをそむ。


春教風景駐仙霞
水面魚身總帶花
人世不思靈卉異
競將紅纈染輕沙


 春の神は風景を支配したまうのであるが、ここ海棠溪(かいどうけい)には、たえなる海棠の花霞(はながすみ)をとどまらしめたもうた。ということは、谷川に沿って一面に海棠の花が、かすみのように咲きほこっているというわけ。しかも谷川の水は澄んで、いとも清らかである。そこで水中を泳ぐ魚が花の投影によって、身體に花の模樣をつけているように美しい。なんという綺麗さであろう。それを人間世界では、そうした自然のおのずからに示す霊妙不思議なわざのあることなどには、ちっとも注意せず、おろかにも一生懸命になって、川岸の砂の上に、赤いしぼりを染めたのをほしている。なんと人間のわざのつたないことであろうか。