崔景頁(←「景頁」は一字)(さいかう)「黄鶴樓(くゎうかくろう)」(全) (齋藤晌)

昔人 已に黄鶴に乘じて去る。
此の地 空しく餘す 黄鶴樓。
黄鶴一たび去って 復 返らず、
白雲千載 空しく悠悠。
晴川歴歴たり漢陽の樹。
芳草萋萋たり鸚鵡洲。
日暮 郷關 何れの處か是なる。
煙波 江上 人をして愁へしむ。


せきじん すでにくゎうかくにじょうじてさる。
このち むなしくあます くゎうかくろう。
くゎうかくひとたびさって また かへらず、
はくうんせんざい むなしくいういう。
せいせんれきれきたりかんやうのじゅ。
はうさうせいせいたりあうむしう。
にちぼ きゃうくゎん いづれのところかぜなる。
えんぱ かうじゃう ひとをしてうれへしむ。


昔人已乘黄鶴去
此地空餘黄鶴樓
黄鶴一去不復返
白雲千載空悠悠
晴川歴歴漢陽樹
芳艸萋萋鸚鵡洲
日暮郷關何處是
煙波江上使人愁


 むかしの人は、とっくに黄色い鶴に乘って飛んで行った。
 この土地に殘っているのは、黄色い鶴に因(ちな)んだ黄鶴樓(こうかくろう)という名の建物ばかり。
 黄色い鶴は飛び去ったまま、もう歸ってはこない。しかし千年の歳月が流れた今でも、あいかわらず、當時の白い雲だけは、はるばると遠い空を、ゆったり漂うている。
 晴れわたった水面のむこう岸には、漢陽の木々がありありとならんで見え、長江のなかにつきでた鸚鵡州(おうむしゅう)にはかぐわしい草がやわらかく生(お)い茂っている。
 日が暮れかかって、夕靄(ゆうもや)にけぶる波のかなた、わが故郷はどの方角であろうか。蒼茫(そうぼう)とはてしなくつづく長江! そのほとりに立って眺めていると、無限の郷愁に、胸がふさがってくる。