王維「祕書晁監が日本國に還るを送る(ひしょてうかんがにほんこくにかへるをおくる;送祕書晁監還日本國)」(全) (齋藤晌)

積水 極む可からず。
安んぞ滄海の東を知らんや。
九州 何れの處か遠き、
萬里 空に乘ずるが若し。
國に向って惟だ日を看、
歸帆は但だ風に信す。
鰲身 天に映じて黒く、
魚眼 波を射て紅なり。
郷樹 扶桑の外、
主人 孤島の中。
別離 方に異域。
音信 若爲てか通ぜん。


せきすゐ きはむべからず。
いづくんぞさうかいのひがしをしらんや。
きうしう いづれのところかとほき、
ばんり くうにじょうずるがごとし。
くににむかってただひをみ、
きはんはただかぜにまかす。
がうしん てんにえいじてくろく、
ぎょがん なみをいてくれなゐなり。
きゃうじゅ ふさうのほか、
しゅじん こたうのうち。
べつり まさにいゐき。
おんしん いかんしてかつうぜん。


積水不可極
安知滄海東
九州何處遠
萬里若乘空
向國惟看日
歸帆但信風
鰲身映天黒
魚眼射波紅
郷樹扶桑外
主人孤島中
別離方異域
音信若爲通


 巨大な水のあつまりは果てしなく廣がっている。この東海の、さらに東のことなど、どうしてわれわれに知れようぞ。わが中國を九州などといって廣いように思っているが、これを一州とする大きい九州があり、そのまた九州を九つ合わせたのがこの世界だということだが、どこが一番遠いところだろうか。おそらく晁監(ちょうかん)のさして行かれる日本こそもっとも遠いところではあるまいか。茫々たる萬里の波濤を越えて、そこに歸って行かれるのは、まるで虚空に乘って行くようなものではないか。故國に向かって行く手は、ただ朝な朝なにさしのぼる太陽を眺めるだけである。帆をあげて出て行きはするものの、何も見えないのだから、ただ風まかせにするよりほかない。途中には、大海龜が波間に出沒して、空に對してくっきり黒くきわだって見えるときもあれば、また大魚が眞紅(まっか)な目を、ものすごく光らせて海面上に反射させるときもあるという。
 いよいよ到着するさきの故郷の木々は、昔から聞く扶桑のかなたにはえているというが、これからは、そんな心細い嶋國の住人として君はくらされることになる。一たんお別れしてしまえば、そんな遠いはての國に行かれるのだから、音信を通ずるにしても、中國の内地とはわけがちがって容易なことではない。おなごり惜しいかぎりである。