姜夔(きょうき)「虞美人草」(全) (今關天彭、辛島驍)

夜闌にして 浩歌起り
玉帳 悲風生ず
江東 千里可り
妾を棄つ 蓬蒿の中
石と化さば 那ぞ語を解せん
草と作る 猶ほ 舞ふ可し
陌上 騅の來るを 望むも
翻って愁ふ 相顧みざらんことを


よるたけなはにして かうかおこり
ぎょくちゃう ひふうしゃうず
かうとう せんりばかり
せふをすつ ほうかうのうち
いしとくゎさば なんぞごをかいせん
くさとなる なほ まふべし
はくじゃう すゐのきたるを のぞむも
かへってうれふ あひかへりみざらんことを


夜闌浩歌起
玉帳生悲風
江東可千里
棄妾蓬蒿中
化石那解語
作草猶可舞
陌上望騅來
翻愁不相顧


 夜がいたく更けてから、包囲軍のあちらからもこちらからも歌声(楚歌)が起こり、そのために、わたしのねやは、悲しみにとざされることになった。わずか千里四方の小さな江東へと脱出のため、項王――あなたは、わたしを垓下の原っぱに棄てゆかれた。夫を思いつめて石となった貞女もあるというが、石になったんでは、口がきけないでしょう。草となれば、せめて吹く風に揺れて、あなたのために舞うことができるだろうと、わたしは虞美人草となりました。しかし、たんぼのあぜみちで風に舞いながら、あなたが愛馬の騅(すい)にのってお帰りになるのを待ってみたところで、たんに野辺の草花と思われるだけで、わたしの方を向いても下さらないのではないでしょうか。