ヒッチコック/トリュフォー『定本 映画術』(山田宏一・蓮實重彦 訳)

 サイレント映画(ピクチャー)というのは〈映画(シネマ)〉の最も純粋な形式だと思う。サイレント映画に欠けていたものは、言うまでもなく、ただ人間のしゃべる声といろいろな音だけだった。しかし、だからといって、トーキーが映画を完成させたということにはならないと思う。サイレント映画には音が欠けていたから、トーキーが必要だったというわけではなかった。つまりサイレントには、ただ自然音がなかっただけであって、映画としてはほとんど完璧な形式に達していた。音とひきかえにこの純粋な映画のテクニックを捨ててしまったのはもったいなかったな。