2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

(井原西鶴『好色五人女』)

世にわりなきは情(なさけ)の道 世の中で、人の思慮分別ではどうにもならないのが、恋の道である

(『閑吟集』)

あまりことばのかけたさに あれ見さいなう空行く雲のはやさよ 何とか言葉をかけてみたくて、「あれみてごらんなさいよ。空を行く雲の何と速いことよ」

(西行)

うなゐ子(こ)がすさみにならす麦笛のこゑにおどろく夏の昼臥(ぶ)し 幼な子がたわむれに鳴らす麦笛の音色に、ふっと目ざめた夏の午後のなつかしさよ

(鶴屋南北『桜姫東文章』)

これも誰(たれ)ゆえ 桜姫 こうした次第になるのも桜姫ゆえである。

(近松門左衛門『大経師昔暦』)

縁の始(はじめ)は身の上の仇(あた)の始と成りにける 思いがけなく結ばれた二人の縁の始まりは、また二人の身の不幸の始まりとなってしまった

(松尾芭蕉『野ざらし紀行』)

唯これ天にして、汝が性(さが)の拙きを泣け ただこれすべて天命であって、お前の天から与えられた生まれつきの宿運の恵まれないことを泣きなさい。

(井原西鶴『日本永代蔵』)

あてどの必ず違ふものは世の中 あてが必ずはずれるのが世の中だ

(謡曲『隅田川』)

人間愁ひの花盛り 人間が生きてゆく上で、苦しみや悩みばかりが限りなくあり、それはちょうど愁の花が咲いたかのようである。

(『とはずがたり』)

人間のならひ、苦しくてのみ明け暮るる 人間の性(しょう)の習いとはいえ、ただ苦悩にあふれてのみ明け暮れていく

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

豚的幸福

(小林多喜二の書簡――田口たき宛)

「闇があるから光がある」そして闇から出てきた人こそ、一番ほんとうに光の有難さが分るんだ

(芥川龍之介『芋粥』)

人間は、時として、充(みた)されるか充されないか、わからない欲望のために、一生を捧げてしまふ

(上田秋成『雨月物語』)

崑山(こんざん)の璧(たま)も、乱れたる世には瓦礫にひとし 天下の名宝である崑山の璧でも、乱世においては、瓦や小石と同じようなもので、その価値が認められない

(森本薫『女の一生』)

誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの、間違ひと知つたら自分で間違ひでないやうにしなくちや

(森本薫『女の一生』)

人間といふ奴は実によく間違ひをする。まるで間違ひをする為に何かするみたいだ

(島崎藤村『春』)

あゝ自分のやうなものでも、どうかして生きたい

(『撰集抄』)

地に倒るる物は地によつて立つ 地に倒れた者は、地によってのみ立ちあがることができる。失敗やつまずきの原因の中に、成功や飛躍の契機がある。

(新川和江「赤ちゃんに寄す」)

〈わたしが生んだ――・〉 どんな詩人の百行も どんな役者の名台詞も このひとことには 敵(かな)いますまい

(山本有三『路傍の石』)

たつた一人しかない自分を、たつた一度しかない一生を

(中島敦『山月記』)

人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い

(武者小路実篤「さあ俺も」)

さあ、俺も立ち上(あが)るかな まあ、もう少し坐つてゐよう

(夏目漱石)

牛になる事はどうしても必要です