2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

笙野頼子「なにもしてない」

……なんで吟味もせず私小説などという言葉を使うんだろう。なんでひらがなとカタカナの区別が付かないんだろう。現実の土地と、日本語で作った言葉の土地の区別をなぜしないのだろう……。

笙野頼子「なにもしてない」

ナニモシテナイ幸福な私がなぜだか自分では気に入らないのだった。十年間ずっと私自身はナニカヲシテキタつもりでいたのだった。だがしてきたはずの何かは自分の部屋の外に出た途端にナニモシテナイに摩り替わってしまった。シテキタシテキタ、と言ってくれ…

稲垣足穂「美のはかなさ」

自分の場合は、「以前ここに居たことがある」あるいは「いつだったか此処で、まさしくこれらの人々と共に、ちょうどこれと同じことを語った」という突然感情は、同時に、「ひょっとしてこれから先に経験すること」のようだし、「それは自分ではなく、他人の…

稲垣足穂「弥勒」

「鬼などは要するに影みたいな者ですよ」と、久し振りに逢った太っちょの詩人が云った。 「――鬼を出したと思った時は、自身が鬼になっているのです。だから、その鬼に対して済まないと思えばよい。世の中で済まない者を一人でも持っているというのは、幸福な…

稲垣足穂「弥勒」

が、死とはもう少しゆとりのある時にやってくるものであって、こんなに煮詰ってきた状況では、人は決して死んだりはせぬものであろう。後日知り合ったTという放浪画家の言葉であるが、「どうしてよいか手段のつき果てた時こそ、天地晦冥になってしまった場…

稲垣足穂「一千一秒物語」

自分を落してしまった話 昨夜 メトロポリタンの前で電車からとび下りたはずみに 自分を落してしまった ムーヴィのビラのまえでタバコに火をつけたのも――かどを曲ってきた電車にとび乗ったのも――窓からキラキラした灯と群衆とを見たのも――むかい側に腰かけて…

織田作之助「世相」

「いや、若さがないのが僕の逆説的な若さですよ。――僕にもビール、あ、それで結構。」 「青春の逆説というわけ……?」発売禁止になった私の著書の題は「青春の逆説」だった。

織田作之助「アド・バルーン」

しかし今ふと考えてみると、私が現在自分のような人間になったのは、環境や境遇のせいではなかったような気もして来る。私という人間はどんな環境や境遇の中に育っても、結局今の自分にしか成れなかったのではないでしょうか。

織田作之助「木の都」

口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思った。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。風は木の梢にはげしく突っ掛っていた。

織田作之助「木の都」

新坊が帰って来ると私はいつもレコードを止めて貰って、主人が奥の新坊に風呂へ行って来いとか、菓子の配給があったから食べろとか声を掛ける隙をつくるようにした。奥ではうんと一言返辞があるだけだったが、父子(おやこ)の愛情が通う温(あたたか)さに…

有島武郎『惜みなく愛は奪う』

愛は自己への獲得である。愛は惜しみなく奪うものだ。愛せられるものは奪われてはいるが不思議なことには何物も奪われてはいない。然し愛するものは必ず奪っている。

有島武郎『惜みなく愛は奪う』

私の愛己的本能が若し自己保存にのみあるならば、それは自己の平安を希求することで、知的生活に於ける欲求の一形式にしか過ぎない。愛は本能である。かくの如き境地に満足する訳がない。私の愛は私の中にあって最上の生長と完成とを欲する。私の愛は私自身…

有島武郎『惜みなく愛は奪う』

神を知ったと思っていた私は、神を知ったと思っていたことを知った。私の動乱はそこから芽生えはじめた。

堀辰雄「ふるさとびと」

「また自分たちだけが取り残された――」なぜか、そんな滅入るような気がしてならなかった。

堀辰雄『菜穂子』

ほんとうに人間の習慣には何か瞞著(まんちゃく)させるものがある。……

堀辰雄『菜穂子』

「一体、わたしはもう一生を終えてしまったのかしら?」と彼女はぎょっとして考えた。「誰かわたしにこれから何をしたらいいか、それともこの儘何もかも詮(あきら)めてしまうほかはないのか、教えて呉れる者はいないのかしら? ……」

堀辰雄『菜穂子』

「何しろ、おれと来たら、何処か寂しそうなところのない人間は全然取(とっ)つけないからなあ。……」

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

あの時分、と云うのは明治二十年代のことだが、あの頃までは東京の町屋も皆薄暗い建て方で、私の母や伯母や親戚の誰彼など、あの年配の女達は大概鉄漿を附けていた。着物は不断着は覚えていないが、餘所(よそ)行きの時は鼠地の細かい小紋をしば/\着た。…

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

知っての通り文楽の芝居では、女の人形は顔と手の先だけしかない。胴や足の先は裾の長い衣裳の裡に包まれているので、人形使いが自分達の手を内部に入れて動きを示せば足りるのであるが、私はこれが最も実際に近いのであって、昔の女と云うものは襟から上と…

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

それにつけても、近代の歌舞伎劇に昔のような女らしい女形が現れないと云われるのは、必ずしも俳優の素質や容貌のためではあるまい。昔の女形でも今日のような明煌々たる舞台に立たせれば、男性的なトゲトゲしい線が眼立つに違いないのが、昔は暗さがそれを…

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

日本の料理は食うものでなくて見るものだと云われるが、こう云う場合、私は見るものである以上に瞑想するものであると云おう。そうしてそれは、闇にまたゝく蠟燭の灯と漆の器とが合奏する無言の音楽の作用なのである。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

因果なことに、われ/\は人間の垢や油煙や風雨のよごれが附いたもの、乃至はそれを想い出させるような色あいや光沢を愛し、そう云う建物や器物の中に住んでいると、奇妙に心が和やいで来、神経が休まる。

夢野久作「杉山茂丸」

「人生はそう深く考えるもんじゃ無い。あんまり深く考えると、人生の行き止まりは三原山と華厳の滝以外に無くなるんだ」

夢野久作「人間腸詰」

「シッ聞えるわよ。日本人に……」 「ナアニ。あいつらは英語がわかりゃしません。暗記した事だけを繰り返している忠実な奴隷なんですから……」

夢野久作「押絵の奇蹟」

お兄様……ああ……おなつかしいお兄さま……。

夢野久作「押絵の奇蹟」

この世の中に運命でないものは一つも無い。

夢野久作「瓶詰地獄」

「お兄さま…………」 とアヤ子が叫びながら、何の罪穢(けが)れもない瞳(め)を輝かして、私の肩へ飛び付いて来るたんびに、私の胸が今までとはまるで違った気もちでワクワクするのが、わかって来ました。

内田百ケン『第三阿房列車』

「なんにも知らない馬鹿がいるし」 山系君が警戒する様な顔をしている。 「なんでも知っている馬鹿もいる」 「いますかね」 「いる。学は古今に通じ、識は東西にあまねくして、それでどう見ても馬鹿なんだ。あんなのは困るね」 「だれの事ですか」 「だれが…

内田百ケン『第三阿房列車』

なまけるには体力が必要である。

内田百ケン『第三阿房列車』

甘木君が山系にこんな事を云っている。自分は夏目漱石の崇拝者である。漱石先生を神様の様にも思う。しかしそれだからと云って、一一(いちいち)、夏目漱石先生の吾輩ハ猫デアルと云わなくても、漱石の猫で冒瀆にはならない。或は猫の漱石でもいい。内田百…