2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

アントナン・アルトー『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』(多田智満子 訳)

残酷さとは、まず、自分自身に対する残酷さだ。

アントナン・アルトー『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』(多田智満子 訳)

私は〈精神〉と〈物質〉という二元論には確かに賛成ではない。精神が何ものかになりうるためには、精神が物質化することに同意する以外にはすべのないこの世界に住む限り、すべてを精神に委ねてしまう主張と、すべてを物質に委ねてしまう主張との間には何の…

アントナン・アルトー『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』(多田智満子 訳)

つまり、神々は宇宙発生時においてのみ、渾沌状態(カオス)の闘いにおいてのみ、価値を認められるということである。 物質の中に神々はない。均衡の中に神々はない。神々は力と力の分離から生まれ、それらが和合する時に死ぬ。 神々は創造に近ければ近いほど…

アントナン・アルトー『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』(多田智満子 訳)

命名された事物は、死んだ事物である。それは分離されたために死んだのである。

ポール・オースター『孤独の発明』(柴田元幸 訳)

なぜなら彼は信じているからだ――もし真実の声があるとするなら、真実などというものが本当にあってその真実が語りうるものだとするなら、それは女の口から出てくるはずだと。

ポール・オースター『孤独の発明』(柴田元幸 訳)

ある意味では、すべてのものは他のすべてのものの注解として読むことができる。

ポール・オースター『孤独の発明』(柴田元幸 訳)

金があるということの意味は、物が買えるという点にとどまるものではない。それは、自分が世界から影響されずに済むということでもあるのだ。いいかえれば、快楽ではなく、防御という意味における富。金のない子供時代を送り、ゆえに世界の気まぐれに翻弄さ…

ポール・オースター『孤独の発明』(柴田元幸 訳)

自分がいまいる場所にいること、父にはそれがどうしてもできなかった。生涯にわたって、父はどこか別の場所にいた。こことそこのあいだのどこかに。ここにいることはけっしてなかった。そこにいることもけっしてなかった。 ※斜体は出典では傍点

ポール・オースター『孤独の発明』(柴田元幸 訳)

にもかかわらず、父はそこにいなかった。もっとも深い、もっとも改変不可能な意味において、父は見えない人間だった。他人にとって見えない人間、おそらくは自分自身にとっても見えない人間だった。父が生きているあいだ、私は父を探しつづけた。そこにいも…

レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど、役にたつこと」(村上春樹 訳)

パン屋が孤独について、中年期に彼を襲った疑いの念と無力感について語り始めたとき、二人は肯きながらその話を聞いた。この歳までずっと子供も持たずに生きてくるというのがどれほど寂しいものか、彼は二人に語った。オーヴンをいっぱいにしてオーヴンを空…

レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど、役にたつこと」(村上春樹 訳)

「何かを食べるって、いいことなんです」

レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど、役にたつこと」(村上春樹 訳)

「何か召し上がらなくちゃいけませんよ」とパン屋は言った。「よかったら、あたしが焼いた温かいロールパンを食べて下さい。ちゃんと食べて、頑張って生きていかなきゃならんのだから。こんなときには、ものを食べることです。それはささやかなことですが、…

レイモンド・カーヴァー「足もとに流れる深い川」(村上春樹 訳)

私たちに必要なのは手をしっかりと握り合うことなのに。二人で助け合うことなのに。

レイモンド・カーヴァー「サマー・スティールヘッド(夏にじます)」(村上春樹 訳)

僕は歩き始めた。自分が口にするべきだった台詞を頭の中で繰り返しながら。僕はいろんな台詞をいっぱい思いつけた。なのにいざとなるとどうして駄目なんだろう?

カート・ヴォネガット・ジュニア『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(浅倉久志 訳)

「つまり、そこでは人間が人間として扱われている。これは、めったにないことです。そこからわれわれは学ばなくちゃいけません」

カート・ヴォネガット・ジュニア『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(浅倉久志 訳)

「こんにちは、赤ちゃん。地球へようこそ。この星は夏は暑くて、冬は寒い。この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは、長く見積っても、せいぜい百年ぐらいさ。ただ、ぼくの知っている規則が一つ…

カート・ヴォネガット・ジュニア『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(浅倉久志 訳)

「わたくし……気がつきました……自分の行ないがまちがっていたことに」 「その行ないが人間的であるかぎり――」 「わたくしが人間であることから逃れられるでしょうか?」 「いや」 「そうできる人がいまして?」 「ぼくの知るかぎりではいない」

カート・ヴォネガット・ジュニア『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(浅倉久志 訳)

「非常に個人的な質問をしてもいいかな?」 「それは人生がいつもしていることですから」

カート・ヴォネガット・ジュニア『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(浅倉久志 訳)

「いったいぜんたい、人間はなんのためにいるんだろう?」

開高健「玉、砕ける」

ある朝遅く、どこかの首都で眼がさめると、栄光の頂上にもいず、大きな褐色のカブト虫にもなっていないけれど、帰国の決心がついているのを発見する。

開高健「飽満の種子」

ナショナリズムは食卓と戦場で発露されると抑制を知らなくなる。

開高健「岸辺の祭り」

盗み聞きすると人の声にはいつも孤独が感じられるものだが、このひそひそした声には何かしらえぐるようなものがあった。声こそ稚(おさな)いが成熟した男の苦さがにじんでいた。休暇は終ったのだ。鳥は沼から飛びたったのだ。

開高健「フロリダに帰る」

「おれは反対だよ」 「おれだって反対だ。けれど……」 私がそっと手をあげたのでボウヤァは苦笑して口をつぐんだ。この〝けれど〟のあとにはじまるものは、もう、あきあきするほど聞いた。すべてが〝けれど〟からはじまるのだ。反証。予測。数字。大義の標語…

須賀敦子『ユルスナールの靴』

人は、じぶんに似たものに心をひかれ、その反面、確実な距離によってじぶんとは隔てられているものにも深い憧れをかきたてられる。

須賀敦子『ユルスナールの靴』

もう少し老いて、いよいよ足が弱ったら、いったいどんな靴をはけばよいのだろう。私もこのごろはそんなことを考えるようになった。老人がはく靴の伝統は、まだこの国にはない。その年齢になってもまだ、靴をあつらえるだけの仕事ができるようだったら、私も…

須賀敦子『ユルスナールの靴』

ことばで生きるものにとって、それによって生かされていることばが、身のまわりに聞こえないところで死ぬのが、なによりも淋しいのではないかと、考えたことがある。

須賀敦子『ユルスナールの靴』

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていない…

笙野頼子「イセ市、ハルチ」

束縛と怯えだけで私はこの土地と繋がっていた。私はこの土地に根付く事がなかった。父と母が漸くここを自分たちの土地と感じ始めた時、私はこの家から浮き上がっていた。

笙野頼子「イセ市、ハルチ」

いや、結局どちらにでもモノガタリが出来る方へと転んでしまう町だ。

笙野頼子「なにもしてない」

急に沿道の警備が気になり始めた。新幹線に乗っていた時はなんでもなかった事が近鉄に移るやいなや強く意識された。自分がこの国の無力な小市民で、取り締まりの対象になっているのだと思い出した。