2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

岸田秀『ものぐさ精神分析』

生きるのが下手な者は欲のない者であるが、自分は生きるのが下手だと思っている者とは、欲の深い者である。

岸田秀『ものぐさ精神分析』

自己嫌悪は、容易に他人への嫌悪と軽蔑に転化し、また、それを支える基盤となるのである。自己嫌悪は、内的葛藤の状態であり、内的緊張を高める。その緊張の解消のために、嫌悪が必然的に他人に投影されるようになる。差別と偏見の心理的基盤はここにあると…

岸田秀『ものぐさ精神分析』

自己嫌悪とは、自己自身に対する偽善である。欲望の満足を得た現実の自分に関する責任と罪を免れさせてくれるこのような便利な手段を、どうして手放すことができようか!

上野千鶴子『増補 〈私〉探しゲーム』

民主制とは、巨大なパラドックスである。「主権在民」の名のもとに誰もが意思決定者でありながら、「民主」の「民」なる存在が、いつでも自分以外の誰かであるために、個人は、他のすべての人々に隷属せざるをえない。民主制の中では、個人は主体にして客体…

上野千鶴子『増補 〈私〉探しゲーム』

人々は「人とちがう」ことをのぞみながら、同時に「ちがいがわかる」限りで「人と同じ」であることをも望んでいる。

上野千鶴子『増補 〈私〉探しゲーム』

どの母親も大なり小なり、ほんとは息子を自分の手のうちから自立させたくない、というホンネを持ってるはずだ。「妻の座」にとっくに飽きたり失望したりした女にとって「母の座」は女に権力と支配欲をたっぷり満足させてくれる心地よい居場所を提供する。女…

福田恆存『人間・この劇的なるもの』

私たちは、日々、死を欲している。もちろん、新しくよみがえるために。

福田恆存『人間・この劇的なるもの』

今日、私たちは、あまりにも全体を鳥瞰しすぎる。いや、全体が見えるという錯覚に甘えすぎている。そして、一方では、個人が社会の部分品になりさがってしまったことに不平をいっている。私たちは全体が見とおせていて、なぜ部分でしかありえないのか。じつ…

福田恆存『人間・この劇的なるもの』

私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起っているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たち…

福田恆存『人間・この劇的なるもの』

個性などというものを信じてはいけない。もしそんなものがあるとすれば、それは自分が演じたい役割ということにすぎぬ。他はいっさい生理的なものだ。右手が長いとか、腰の関節が発達しているとか、鼻がきくとか、そういうことである。

福田恆存『人間・この劇的なるもの』

私たちの行為は、すべて断片で終る。たえず、ひとつの断片から他の断片へと移っていく。

グレゴリー・ベイトソン『精神と自然――生きた世界の認識論』(佐藤良明 訳)

例えば韻文、舞踏、音楽といった美的経験の本質に迫る疑問。これらのリズミックな現象は非常に古い時代から――恐らく散文以前に――人間と共にあった。というより、たえまなく変奏されゆくリズムの中にあるという点こそ、太古的な行動と知覚の特徴なのである。…

グレゴリー・ベイトソン『精神と自然――生きた世界の認識論』(佐藤良明 訳)

自分のあり方がまちがっていることもあり得るのだという観念を一切欠いた人間は、ノーハウしか学ぶことができない。

グレゴリー・ベイトソン『精神と自然――生きた世界の認識論』(佐藤良明 訳)

名詞とは述語とある関係を持つ言葉、動詞とはその主語である名詞とある関係を持つ言葉、という教え方に子供たちがついていけないことはあるまい。定義の基盤に関係を据えればよい

中島義道『孤独について――生きるのが困難な人々へ』

孤独を実現するためにはある程度他人が必要である(中略)。孤独を現実的なものにするためには、私の世界の中にいかに煩わされない他人を「取り入れる」かが鍵となる。

中島義道『孤独について――生きるのが困難な人々へ』

こうした(外面的に)挫折していない人々はとても善良である。素直でいじけたところが少ない。だが、その善良さ素直さが(当時の私のような)人生の敗者にはとても酷なのだ。彼らは敗者が白旗を掲げて懐に飛び込んでくれば、喜んで敗者の味方になる。しかし…

中島義道『孤独について――生きるのが困難な人々へ』

本当に「人を裁く者は自分も裁かれる」。

中島義道『孤独について――生きるのが困難な人々へ』

あなたの孤独は、あなた自身が選びとったものだということを認めなさい。そして、その(表面的な)不幸を利用し尽くしなさい。それは、とても「よい」状況になりうることを信じなさい。心からこう言いたい。 ※太字は出典では傍点

中島義道『孤独について――生きるのが困難な人々へ』

そして、それまでの自分の行動を点検してみるがよい。いかに、自分はこの状況をつくることに加担してきたかがわかってこよう。

アゴタ・クリストフ『第三の嘘』

「そうなんです。一冊の本は、どんなに悲しい本でも、一つの人生ほど悲しくはあり得ません」

アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』(堀茂樹 訳)

「われわれは皆、それぞれの人生のなかでひとつの致命的な誤りを犯すのさ。そして、そのことに気づくのは、取り返しのつかないことがすでに起こってしまってからなんだ」

アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』(堀茂樹 訳)

「私は確信しているんだよ、リュカ、すべての人間は一冊の本を書くために生まれたのであって、ほかにはどんな目的もないんだ。天才的な本であろうと、凡庸な本であろうと、そんなことは大した問題じゃない。けれども、何も書かなければ、人は無為に生きたこ…

アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』(堀茂樹 訳)

「死者はどこにもいなくて、しかもいたるところにいるのさ」

尾辻克彦「殴られる男」

「SFですね」 「SFだねえ、現実はSFだよ」 「ヤケですか」 「いや、そんなんじゃないよ。もう本当に現実というのはSFなんだよ」

尾辻克彦「殴られる男」

ただの偶然なのだろうか。そういえば私は電車に乗るときにいつも考える。電車は毎日同じように満員だけど、病気とかズル休みとかが偶然にも全国民に全部重なって、突然電車がガラガラになる日はないのだろうかと。理屈ではあってもいいはずなのに、それはま…

尾辻克彦「やめる」

そして、ストというのは必ず終るのである。労働の放棄であって、廃棄ではない。

尾辻克彦「やめる」

タバコの煙はやはり石炭文化のカッコヨサだったのだろうと思う。だけどいまでは、本当はカッコイイことなどおいそれとはないのだ。この地球上が満員になってしまったこんにち、何かをやりはじめることのカッコヨサはもうなくなったのだと思う。新しくプラス…

吉本隆明『言葉からの触手』

ところで現在、ほんとの意味で畏れなければならないものは、かならずといっていいほど、一見つまらない外観をもってあらわれる。

吉本隆明『言葉からの触手』

〈感ずること〉においてわたしたちの伝統はとおく深いが〈考えること〉においてわたしたちの起源はちかく浅い。

吉本隆明『言葉からの触手』

でもわたしの身体が母胎を離れて分娩されたのは確実なのに、わたしのこころの状態は母体を離れたという体験をへていない。こんなことがあるんだとすれば、思考のさいにじぶんの身体の像(イメージ)がいつもちらついている状態で回帰する時間と場所が、それ…