2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

三浦雅士『私という現象』

もともと人間とは何者かに見られ、所有され、凌辱されるほかない存在である。誰にも見られず所有されず凌辱されないとしても、自分自身が見、所有し、凌辱するのだ。人間はただ、自分に対する自分自身の関係を他者に転嫁するだけである。

三浦雅士『私という現象』

人が鏡の前に立つのは自分が自分だからではない。自分がどのような存在であるかを知らないからだ。自分が一個の他者であり謎であるからなのだ。

三浦雅士『私という現象』

自意識の危険な遊戯のなかで他者の位置を占めるのは自分自身にほかならない。自己こそがじつは最大の他者なのだ。

三浦雅士『私という現象』

自意識とは現在ある自分から自分がかすかにずれることである。

三浦雅士『私という現象』

批評とはおそらく、自己というこのひとつのシステムの別名にほかならない。誰が語っているのでもない。まさにそこで現象しているものが私なのだ。

小林秀雄「政治と文学」

空虚な精神が饒舌であり、勇気を欠くものが喧嘩を好むが如く、自足する喜びを蔵しない思想は、相手の弱点や欠点に乗じて生きようとする。

小林秀雄「政治と文学」

政治の対象は、いつも集団であり、集団向きの思想が操れなければ、政治家の資格はない。

小林秀雄「マキアヴェリについて」

理解するという事と信ずるという事は、人間が別々の言葉を幾時(いつ)の間か必要としていたその事が語っている通り、全く性質の違った心の働きである。人間は、万人流にいくらでも理解するが、自己流にしか決して信じない。

小林秀雄「オリムピア」

言葉の故郷は肉体だ。

小林秀雄「私小説論」

私小説は亡びたが、人々は「私」を征服したろうか。私小説は又新しい形で現れて来るだろう。フロオベルの「マダム・ボヴァリイは私だ」という有名な図式が亡びないかぎりは。

小林秀雄「様々なる意匠」

フロオベルはモオパッサンに「世に一つとして同じ樹はない石はない」と教えた。これは、自然の無限に豊富な外貌を尊敬せよという事である。然しこの言葉はもう一つの真実を語っている。それは、世の中に、一つとして同じ「世に一つとして同じ樹はない石はな…

小林秀雄「様々なる意匠」

世捨て人とは世を捨てた人ではない、世が捨てた人である。

小林秀雄「様々なる意匠」

人は様々な可能性を抱(いだ)いてこの世に生れて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可(べ)き事実である。この事実を換言すれば、人は種々な真実を発見する事は出…

小林秀雄「秋」

「私」の表現なんていうものはない。そんな事は誰にも出来ない。歴史とは、無数の「私」が何処かへ飛び去った形骸である。

小林秀雄「Xへの手紙」

女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうとした俺の小癪(こしゃく)な夢を一挙に破ってくれた。

小林秀雄「Xへの手紙」

言うまでもなく俺は自殺のまわりをうろついていた。この様な世紀に生れ、夢みる事の速(すみや)かな若年期に、一っぺんも自殺をはかった事のない様な人は、余程幸福な月日の下に生れた人じゃないかと俺は思う。俺は今までに自殺をはかった経験が二度ある、一…

小林秀雄「Xへの手紙」

君は解るか、余計者もこの世に断じて生きねばならぬ。

北杜夫『幽霊』

それなのに、ぼくは傍観者でさえなかったのだ、自分自身に対してさえも。はたして体験とよばれるもののなかで、どれだけが魂を熟させてくれるのだろう。この考えはわずかばかりぼくに生気をふきこみ、同じ程度にぼくを憂鬱にもした。

北杜夫『幽霊』

もしもある物語の真の意味が伝わらずに、単なるあら筋だけが伝わるのだとしたら、それは随分つまらないことになるだろう。人は誰でも、なんらかの物語を身体(からだ)のなかにもって生れてくるもののようだ。その人が真のおもみを感ずる体験というものは、…

北杜夫『幽霊』

「冗談じゃない、僕は恋なんて……」 「してやしないとおっしゃるのでしょう? しかし、たとえしていないと思っているにしても、人はやっぱり恋をしているのですよ」

北杜夫『幽霊』

もうこれでぼくを愛してくれる人は誰もいなくなるのだ、というようなことを、ぼくは足にあわぬ下駄をひきずりながらぼんやりと考えた。

北杜夫「夜と霧の隅で」

精神を病むということは深く沈みきること、人間のもつ最も原始的な地盤に帰るということになるのかも知れない、と彼は考えた。そのくせ病人たちはそのような共通な同質なものになりながら、逆にお互になんらの疎通性も持たなくなる。かえって彼らは狭くるし…

北杜夫「夜と霧の隅で」

愛、この短く単純なたったひとつの言葉に高島はしがみつきたかった。それが実体のある手ざわりのあるものであって欲しかった。

北杜夫「夜と霧の隅で」

これほど人間が孤立して、お互にお互がわからなくなり、てんでばらばらに生きるということは想像もしなかった。もしかすると、人間は社会的な存在ではなく、或る種の孤独性狩猟蜂(ばち)のように、こうした孤立性の方がふさわしいのかも知れない。

北杜夫「霊媒のいる町」

「生甲斐を感じるって、あれ、どういうこと?」 「たわごとを感じることさ」と、私はこたえた。

舞城王太郎『阿修羅ガール』

でもそんな風に、何かを自分が作り上げたイメージってことにしてしまえるなら、私自身だって架空の存在なのかも知れない。我思うゆえに我ありって言うけれど、もし自分と他人がどっかでくっついていて、相手の内側にお互い入ってこれたりするんだったら、ホ…

舞城王太郎『阿修羅ガール』

あのねアイコ、好きな人の名前を訊かれてクエスチョンマーク付きで答えてるうちは全部間違いなのよ。愛ってのは迷わないものなのよ。絶対正解で間違いとは無縁のものなのよ。誰々君のことが好きなのかしら?なんてふうには考えないものなのよ。好きな相手が…

舞城王太郎『阿修羅ガール』

減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心。 返せ。 とか言ってももちろん佐野は返してくれないし、自尊心はそもそも返してもらうもんじゃなくて取り戻すもんだし、そもそも、別に好きじゃない相手とやるのは…

宮部みゆき『火車』

手の指のあいだからこぼれ落ちる、砂の一粒だ。彼女の存在は、社会にとってその程度のものなのだ。誰もすくいあげてはくれない。這いあがっていかないことには、生きる道はないのだ。

宮部みゆき『火車』

問題は、そこで歯止めをかけるものがいない、ということ。これいいでしょう、素敵でしょう、ほしいでしょう、さあどうぞ――と煽ることはしても、金利や毎月の支払い額の累積のことを考えると今日はこの程度にしておいた方がいいですよ、と忠告してくれる店員…