2013-01-29から1日間の記事一覧

魯迅『娜拉走後怎様』(『墳』所収)

人は忘れることができるため、受けた苦痛からしだいに脱離できる。また忘れることができるために、往々にして前人と同じような誤ちを再び犯す。 ※題名の「娜拉」は、イプセンの『人形の家』の主人公ノラのこと

魯迅『朝花夕拾・小引』

人間思い出しか残らなくなった時には、生きていてもつまらないということなのだろうが、時には思い出さえないことだってあるのだ。

J・D・サリンジャー「フラニー」(野崎孝 訳)

その口調がまた、ほとんど例外なしに、学生らしい独断的な物言いである。やかましい論争の的になっている問題でも論じ合ってるみたいで、過去何百年もの間、学外の無学者どもが、あるいは派手に、あるいは地味に、空しい論議を重ねるばかりだった問題を、自…

J・D・サリンジャー「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」(野崎孝 訳)

事実がはっきり分るのはいつも遅きに失するのが通例だけれど、「喜び」と「仕合せ」の最も著しい違いは「仕合せ」は固体であるに反し、「喜び」は液体だということだ。