2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

布施豊正『自殺と文化』

自殺学の重要な法則の一つは、食べることとか、話術を重要視する「口の文化」には自殺はあまりみられないという鉄則である。人間の生活に喜びをもたらすものは食物、会話、キスなど殆んど口を通してくるものである。

矢貫隆『「自殺」――生き残りの証言』

こうした言葉から推測できることは、自殺の手段は、たまたまその方法だったに過ぎないのではないかということなのである。死んでしまおうという気持ちになるたびに、彼らの頭には様々な方法が浮かんでいる。しかし、実際に自殺を図った時の手段は、考えた末…

矢貫隆『「自殺」――生き残りの証言』

「また自殺をしようとは思わないけど、助かってよかったとも思わない」

ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話』(丘沢静也 訳)

いずれにしても、パースペクティブの転換は有効である。幸福とはほど遠い〈子ども時代〉をすごした人もまた、苦しい経験を美化せず、虚勢も張らず、自問してもいいのだ。辛い思いをしながら「身につけた」ものだが、ぼくは、自分のこの性格を自慢しちゃいけ…

ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話』(丘沢静也 訳)

トラウマ理論の影響が大きいので、悲しいことにたいていの人は、回復の道は過去を手離すことだとは考えず、「犠牲者」思考にしっかりなじんでいる。過去を手離して本当に変化するにはどうやったらいいか。そのヒントは、(中略)いわゆる「復元力のある」子…

ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話』(丘沢静也 訳)

〈子ども時代〉キャンペーンに支えられて、アダルト・チルドレンは、親に放ったらかしにされたり、虐待されたことを非難するが、その家庭の社会階層はほとんど中流か上流で、たいてい当人は、社会的困窮とは縁がない。アダルト・チルドレンは、自分を犠牲者…

ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話』(丘沢静也 訳)

途方に暮れたり、失望したり、絶望した人は、しばしばほんの一歩で、自分を憐れむようになる。その一歩で、トラウマ療法のクライアントは気持ちがとても楽になる。それは、精神分析家でも開放的な人たちなら認めるようになったことだ。その一人である分析家…

ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話』(丘沢静也 訳)

よりによってどうしてこの私が苦しむのか。そう思った大人が理由探しをはじめると、「もしも……だったら」式の責任転嫁が山のように出てくる。ともかく両親があんなに冷淡でなかったら、拒絶的でなかったら、愛情をもってくれていたなら、心の病気でなかった…

ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話』(丘沢静也 訳)

トラウマ療法は、重荷を軽くしたいという欲求を満たすには、とくに適切なものに思える。責任を過去のせいにするからだ。個人の責任の重荷から解放して、決定者ではなく犠牲者に仕立てるからだ。「犠牲者であること。ほかの人間やシステムのせいにすることは…

ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話 トラウマを超えて』(丘沢静也 訳)

つまり人間は、自分のもっている記憶に納得しているときは、それを手離そうとはしない。明らかにその記憶がまちがっているという証拠があったとしても、手離そうとはしないのである。それどころか、現実には起こらなかったことを覚えているとすら思うのであ…

ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話 トラウマを超えて』(丘沢静也 訳)

これらの例ではっきりわかるように、われわれは大人になると、子どもの頃の思い出をフィルターにかけて、自画像にいちばんよく似合う思い出を選択しているのである。誇りに思っていること、自分をよく見せてくれること、弁解の口実になったり、負担を軽くし…

ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話 トラウマを超えて』(丘沢静也 訳)

だがしかし、多くの人が信じて疑わない「〈子ども時代〉が人生を決める」という信仰が、まちがっていたり、部分的にしか正しくないとしたら? その証拠が頼りなく、多くのケースにおいて反駁されるものであるとしたら? 幼児期が一生を決めるとはかぎらず、…

ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話 トラウマを超えて』(丘沢静也 訳)

〈子ども時代〉のトラウマという信仰から、また、トラウマがひきおこす(いわゆる)巨大な結果から、利益を得てきた人たちがいる。だが人間の発達は、その人たちが信じ込ませようとしているよりははるかに複雑であり、またチャンスに富んだものである。新し…

E・F・ロフタス+K・ケッチャム『抑圧された記憶の神話――偽りの性的虐待の記憶をめぐって』(仲真紀子 訳)

己の運命について問うとき、例えば過去の出来事を考えるとき、身体、精神、魂の傷を癒そうとするとき、また神など、人間の存在にかかわる測り知れない不思議について問うとき、私たちはその意味と洞察、そして絶望の深さや希望の高さを測る方法を探し求める…

F.サルダ『生きる権利と死ぬ権利』(森岡恭彦 訳)

われわれの行動の極限は何といっても、死ぬ権利についてと同様に、生きる権利についても配慮が不足しているということである。 この二つの権利を守ることが、人々の必要に答えることになる。

F.サルダ『生きる権利と死ぬ権利』(森岡恭彦 訳)

われわれが死に方を知らぬというのも、どのように死ねばよいかということをわれわれがもはや知らなくなってしまったからではあるまいか?

F.サルダ『生きる権利と死ぬ権利』(森岡恭彦 訳)

われわれの「死ぬ権利」は、「生きる権利」と同じくらいの根拠と力とを有している。一方を濫用すれば他方が損なわれる。生と死のこの二つの権利は、その相互補完性において、そしてまさに相互補完性のゆえに、ひとしく尊重され、実践されねばならない。

F.サルダ『生きる権利と死ぬ権利』(森岡恭彦 訳)

いずれにせよ、生命尊重という一般法則を一貫性をもって強く信奉する者たちは、自分たちの大目標に照らして誤ちを許容するなどということは断乎しなかったであろう。ところが、われわれの地球の状態というのは、歴史のいつの時代もそうであったように、さま…

ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ III』(河野万里子 訳)

世の中との壁は、逆に架け橋に変わる可能性を、いつも秘めている。だが架け橋が、見えない壁に変わってしまう可能性も、同じだけあるのだ。

ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ III』(河野万里子 訳)

わたしはルーシーが、幸運にめぐまれますようにとは祈らない。自己に恵まれますようにと、祈るのだ。それなしには幸運も、何の意味もないのだから。 ※太字は出典では傍点

ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ II』(河野万里子 訳)

「苦しい」そのまま絞り出すような声でうめく。「苦しいよ」 「それが感情というものよ」わたしはそっと言った。それからひと呼吸置いて、続けた。「でも感情は、あなたを傷つけたりはしないから」

ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ II』(河野万里子 訳)

「あなた自身の『はい』はどれ?」

ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ II』(河野万里子 訳)

かつて世の中と闘っていた時、わたしは、自分が「世の中」を拒絶しているのだとずっと思い込んでいた。だが実際には、わたしに「世の中」をつかんでおく力がまったくなかった、ということだったのである。 「わたしの世界」と「世の中」を区別して考えていた…

ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』(河野万里子 訳)

わたしにはもう、部屋中の誰も彼もが、遠くはるかな所にいるようにしか見えなかった。そうしてわたしの唇からは、何のことばも、叫びも、出てはこなかった。

ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』(河野万里子 訳)

いい年をした大人が、いまだに子供のように人との触れ合いを怖がらなければならないとは、なんと残酷な運命なのだろう。わたしは大人ではあったが、子供の不安定さから抜け出すことのできない大人だった。

ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』(河野万里子 訳)

その日から、わたしは再び自分で自分を殴り、自分の髪を引っぱるようになった。わたしはなんとかして、自分の体から外へ、出たかったのだ。自分の体から去るために、わたしは侵入者たちがやったように、自らを踏みにじり、傷つけ、虐待した。わたしは自分の…

ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』(河野万里子 訳)

現実の手ざわりとして感じられるものは、自分の憎しみだけになってしまった。そして憎しみを燃やしていない時は、わたしは自分が呼吸をしているのも、わずかばかりの場所を占めていることも、身が縮むほど申し訳ない気持ちになって、いたたまれないようにな…

ビュトール『段階』(中島昭和 訳)

ピエール叔父さんはもはや書くことはあるまい、この本はきみのために書かれたものだと、いずれはわたしが言うことになろう、そして、これの預り人はミシュリーヌ・パヴァンにする。きみらは二人とも彼のベッドに身をかがめている。彼は眼を開いてはいるが、…

ビュトール『段階』(中島昭和 訳)

去年中、ぼくはこの作品の制作にこんなにも深く、こんなにも身を危険にして参加してきた、そしてぞっとする思いでそれから離れたのだ、この嫌悪は一朝一夕にして消えることはないだろう、したがって、もしあなたがあなたの作品をぼくに読ませよう、読みはじ…

ビュトール『段階』(中島昭和 訳)

あの作品に対するいっさいの協力をぼくがやめてからもうずいぶん経つ、あなたは依然としてぼくを一人称で示しながら、ますます虚偽をまじえ、ごまかしを加えて書き続けている、それも今後長くは続くまい、なぜなら……