クロード・シモン『アカシア』(平岡篤頼 訳)

いまはぱかっぱかっと鳴る蹄の音に、油のきれた車軸のきしむ音や車輪の下で小砂利がはじけるちいさな音が混じっていた。そしてそれだけのことで、この二重の流れ、逆方向にすすむ二重の行列があるだけで、騎兵たちの顔はどれもおなじ動きで左側を向き、彼らの寝ぼけまなこは天災(地震、竜巻、洪水)の主役たちのあの陰気な落ちこんだ気分で、彼ら自身のいわば陰画でもあり同時に相補体でもあるものが目の下をぞろぞろ歩いてゆくのを眺めていた。つまり、一方には黙示録的な蹄鉄のぱかっぱかっという音と金具のかちあう音にかこまれ、というかむしろ不吉なアウラみたいに背後から照らされながら進む馬たちと武装した兵たちのながい暗い縦隊――他方には、雑多な車(干し草用の荷車、がた馬車、砂利運搬車)の土色をしたゆっくりとした行列があって(その色は、暗闇のなかでも匂いを嗅げるのとおなじで、薄暗がりのなかでさえ見てとれるなにか、車や山になった荷物や衣服にもとからついているなにか、すなわち、毛布や車輪にこびりついた泥や牝牛、仔牛の膕(ひかがみ)の上のそげた固い皮などの地味な茶褐色で――時折黒い色のかたまりが羽根布団とか刺し子布団の赤を示すだけだったが)、それに積みこんだ、紐でしばった溢れそうな荷物、革紐でうしろにつないだ家畜、荷物包みのあいだに坐ってこれまた荷物に似た女たちが見え(彼ら――騎兵たち――は時折こわばった、非情な、不幸そのものみたいに生気のない物質で彫刻された横顔をちらっと見ることができたが)、牛馬を引く男たちも、やはり横顔だけだが、やはり一種の強情な一徹さとでもいったものをこめてまっすぐ前方の闇のなかの黒っぽい女たち、男たち、子供たち――すくなくとも段ボール箱や大急ぎで紐でくくった台所用品にはさまって、毛織のものに埋まり、眠ってはいない子供たち――を見つめていて――まるで一様におなじ茫然自失状態に陥っているかのようで、呪いをかけて家から追いたてられ、真夜中に道路にほうりだされて、山と積んだ長持や羽根蒲団やミシンや珈琲挽きやその上に横倒しにした、さながら骸骨か、複雑な、クモみたいで、角(つの)のあるかたちの昆虫の骨みたいな古自転車を引きずって歩くのだった。