ベケット『ゴドーを待ちながら』(安堂信也 高橋康也 訳)

ヴラジーミル (もったいぶって)人おのおの小さき十字架を背負いか。(ため息)つつましく暮らして、だが、行きつく先は。
エストラゴン まあ、それまで、興奮しないでしゃべることにしよう。黙ることはできないんだからな、おれたちは。
ヴラジーミル ほんとだ、きりがないな、わたしたちは。
エストラゴン それというのも、考えないためだ。
ヴラジーミル いつも言いわけはあるわけだ。
エストラゴン 聞かないためだ。
ヴラジーミル いつも道理はあるわけだ。
エストラゴン あの死んだ声を。
ヴラジーミル あれは、羽ばたきの音だ。
エストラゴン 木の葉のそよぎだ。
ヴラジーミル 砂の音だ。
エストラゴン 木の葉のそよぎだ。


     沈黙。


ヴラジーミル それは、みんな一度に話す。
エストラゴン みんな、かってに。


     沈黙。


ヴラジーミル どちらかというと、ひそひそと。
エストラゴン ささやく。
ヴラジーミル ざわめく。
エストラゴン ささやく。


     沈黙。


ヴラジーミル 何を言っているのかな、あの声たちは?
エストラゴン 自分の一生を話している。
ヴラジーミル 生きたというだけじゃ満足できない。
エストラゴン 生きたってことをしゃべらなければ。
ヴラジーミル 死んだだけじゃ足りない。
エストラゴン ああ足りない。