森田正馬『対人恐怖の治し方』

「諦めがよい」というような人が、世の中にあるように思われるのは、それははじめから欲がなく、苦労は少しでもいやな人で、ただ、濡手に粟で儲かればよいけれども、そうでなければいやという意志薄弱性の無頼漢である。死は恐ろしいのが人情であるが、面白半分に、三原山で飛び込む人もあると同様である。
 神経質は、けっして、こんなことのできない人であって、諦めることのできない人である。われわれは、人生の実際において、諦めることのできないものであるということを、明らかに自覚することができれば、ただあらん限りの努力をするより、ほかに途がないということがわかる。