2015-07-17から1日間の記事一覧

高良武久「森田正馬『対人恐怖の治し方』解説」

対人恐怖症は内向的態度の人に起こりやすいものである。内向的な人は、進んで自分の能力を発揮することよりも、いつも自己防衛の方に心を使っている。細心、要慎深いこと、真面目なことなどは長所ではあるが、自己中心的に自分の心身のことばかりに注意を向…

高良武久「森田正馬『対人恐怖の治し方』解説」

対人恐怖の人は卑屈な気分で自己中心的に物事を解釈しやすいものである。電車に乗っても、あるいは通りを歩いていても、周囲の人々が自分を見ている、しかも軽蔑の眼で見ていると感ずるものがあり、人が笑っても自分を馬鹿にしているとか、眼をちょっとしか…

高良武久「森田正馬『対人恐怖の治し方』解説」

捉われは無理な完全欲から起こりやすい。常に最上のコンディションを持っていなければならぬものと心得るから、常に何か心身の不都合なところを問題にして、それに捉われる。勉強する時は頭脳がいつも明瞭で、雑念もなく、倦怠感もない状態でなければならぬ…

森田正馬『対人恐怖の治し方』

逃げれば逃げるほど、静養すればするほど、悪くなります。

森田正馬『対人恐怖の治し方』

神経質は、自己中心のために、人の迷惑を考えることが少しもできなくなる。

森田正馬『対人恐怖の治し方』

「諦めがよい」というような人が、世の中にあるように思われるのは、それははじめから欲がなく、苦労は少しでもいやな人で、ただ、濡手に粟で儲かればよいけれども、そうでなければいやという意志薄弱性の無頼漢である。死は恐ろしいのが人情であるが、面白…

森田正馬『対人恐怖の治し方』

およそ対人恐怖患者は、自ら気の小さい恥かしがりやであると称して、しかも無遠慮で、人の迷惑を意としないという特徴がある。 ※斜体は出典では傍点

森田正馬『対人恐怖の治し方』

これが全快です。何ものをも得なかったのが大きな賜であります。もし君が予期した通り、人前で顔が赤くならないようになったならば、それは無恥堕落の人となり終りましょう。もし君がある芸術心を満足したならば、それは玩具の人形のようになったでもありま…

森田正馬『対人恐怖の治し方』

……死にたい、と思う心は、生の欲の激甚な結果である。自己身心の安楽を得るために神を信ずるものは、信仰に似て、邪欲である。人生を、理屈や思想で解決しようとするのは誤解である。これを解決するものは事実である。食欲がなければ生命はないが、食欲にあ…

森田正馬『対人恐怖の治し方』

われわれが死を恐れ、病を厭うのは、生の欲望を全うせんがためである。死ぬ心配さえなければ生きていなくともよい、というはずはない。生きたくないものが、死を恐れるわけもない。しかるに神経質の気質は、死を恐れることに執着し、没頭して生の欲望を失念…