オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』(高見幸郎、金沢泰子 訳)

われわれは、めいめい今日までの歴史、語るべき過去というものをもっていて、連続するそれらがその人の人生だということになる。われわれは「物語」をつくっては、それを生きているのだ。物語こそわれわれであり、そこからわれわれ自身のアイデンティティが生じると言ってもよいだろう。
 ある人間のことを知りたければ、その人の「物語」、ほんとうの内面の物語はどんなものなのか聞けばよい。一人一人が一個の伝記であり、物語だからである。二つと同じものはない。それは、われわれのなかで、自分自身の手で、生きることを通して、つまり知覚、感覚、思考を通じて、たえず無意識のうちにつくられている。口で語られる物語はいうまでもない。生物学的あるいは生理学的には、人間は誰しもたいして変らない。しかし物語としてとらえると、一人一人は文字どおりユニークなのである。
 われわれは「自分」であるためには、「自分」をしっかりもっていなければならない。つまり、自分自身の物語というものをもっていなければならないのである。必要とあらば、あとから所有するのでもいい。これまでの自分についての物語、内面のドラマというものを、回想してでももつ必要がある。それがないことには、自己のアイデンティティはない。「自分」は見失われてしまうのである。