ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

出ていけ! 出ていってくれ! イヤ、こんなのがおれであるものか! こんななにやら行き当たりばったりの、よそよそしい、外からひっかぶせられたお仕着せみたいなものが。外部と内部の世界の妥協みたいなものが。こんなもの、おれの体であってたまるか! 分身は呻き声をあげると、ひと跳びはねて消えてしまった。そこで、おれは一人になった。だが、じつのところは、一人ではなかったのだ――なぜなら、おれがいなかったからだ、おれという人間がいるようには感じられなかったからだ。考えることの一つ一つが、反射作用と行動と言葉の一つ一つが、すべておれのものでないばかりではなく、どこかおれの外でもって定められ、おれのために作られているもののように思われたのだ。まったくの話――おれがおれではない別のものなのだ! そのとき、恐ろしい興奮におれは捕えられた。アア、自分の固有の形式を作らなければだめだ! はっきりと自分を外部に現わすことだ! 自己を表現すること! おれの形はおれ自身のうちから生みだされなくてはならぬ――よそで作られたものであってはならぬ!

   ※太字は出典では傍点