佐々木味津三『右門捕物帖』第一話「南蛮幽霊」

 切支丹騒動として有名なあの島原の乱――肥前の天草で天草四郎天守教徒の一味が起した騒動ですから、一名天草の乱とも言ひますが、その島原の乱は騒動の性質が普通のとは違つてゐたので、起きるから終るまで当時幕府の要路にあつた者は大いに頭を悩ました騒動でした。殊に懸念したのは豊臣の残党で、それを口火に徳川へ恨みを持つてゐる豊家縁故の大名達が、いち時に謀反をおこしはしないだらうかと言ふ不安から、奥州は仙台の伊達一家、中国は長州の毛利一族、九州は薩摩の島津一家、と言ふやうな太閤恩顧の大々名のところへはこつそりと江戸から隠密を放つて、それとなく城内の動静を探らした位でしたが、しかし幸ひなことに、その島原の騒動も、智慧伊豆の出馬によつてやうやく納り、乱が起きてからまる四月目、寛永十五年の二月には曲りなりにも鎮定したので、お膝元の江戸も街にも久方ぶりに平和がよみがへつて、勇み肌の江戸児たちには書入時のうららかな春が訪れて参りました。
 愈々平和になつたとなると、鐘一つ売れぬ日はなし江戸の春――まことに豪儀なものです。