長塚節「土」一五

 巫女(くちよせ)は暫く手を合せて口の中で何か念じて居たが風呂敷包の儘箱へ両肘を突いて段々に諸国の神々の名を喚んで、一座に聚めるといふ意味を熟練したいひ方で調子をとつていつた。がや/\と騒いで居た家の内外は共にひつそりと成つた。「行々子(よしきり)土用へ入えつた見てえに、ぴつたりしつちやつたな」と呶鳴(どな)つたものがあつた。漸く静まつた群集は少時(しばし)どよめいた。然し直に復た静まつた。
 「白紙(しらかみ)手頼(たよ)り水(みず)手頼り、紙捻(こより)手頼りにい……」と巫女の婆さんの声は前歯が少し欠けて居る為に句切が稍不明であるがそれでも渋滞することなくずん/\と句を逐うて行つた。斜に茶碗の水に立つた紙捻がだん/\に水を吸うて点頭(うなづ)いた様にくたりと成つた。(中略)群集の後の方からの俄な騒ぎが内側に及んだ。晩餐を済まして瞽女が手を曳き連れて来た処なのである。それを若い衆が揶揄(からかひ)半分に道を開いてやらうとしては遣るまいとして騒いだのであつた。瞽女は危険相(あぶなさう)にして漸く座敷へ上つた時「目も見えねえのにさうだに押廻すなえ」瞽女の後に跟(つ)いて座敷の端まで割込んで来た近所の爺さんがいつた。若い衆等は只「ほうい/\」と仮声(こわいろ)で囃した。爺さんは勘次が側に居たのを見つけて「なあ、勘次さん、こんで若えものゝ処がえゝかんな」といひ掛けた。外では再び囃し立てゝ騒いだ。