岩野泡鳴「耽溺」一九

 「あなたは色気狂ひになつたのですか?―性根が抜けたんですか?―うちを忘れたんですか? お父さんが大変おこつてらツしやるのを知らないんでせう?―」
 「……」僕は苦笑してゐる外なかつた。
 「こんな児があつても」と、かの女は抱き児が泣き出したのをわざとほうり出す様に僕の前に置き、「可愛くなけりやア、捨てるなり、どうなりおしなさい!」
 「……」これまで自分の子を抱いたことのない僕だが、余りおぎやア/\泣いてるので手に取りあげては見たが、間が悪くツて、あやしたりすかしたりする気になれなかつた。
 「子どもは子どもだ、乳でも飲ましてやれ」と、無理に手渡しした。
 「ほんとに、ほんとに、どんな悪魔がついたのだらう、人にかう心配ばかしさして」(中略)
 僕は、妻を褥(とこ)につけてから、また井筒屋へ行つて飲んだ。吉弥の心を確かめる為、また別れをする為めであつた。十一時頃、帰りかけると、二階のおり口で、僕を捉(とら)へて云つた、
 「東京へ帰ると、直ぐまた浮気をするんだらう?」
 「馬鹿ア云へ。お前の為めに随分腹を痛めてゐらア。」
 「もツと痛めてやる、わ。」吉弥は僕の肩さきを力一杯につねつた。