国木田独歩「河霧」

 上田豊吉がその故郷を出たのは今より大概(おおよそ)二十年ばかり前のことであった。
 その時渠(かれ)は二十二歳であったが、郷党みな渠が前途(ゆくすえ)の成功を卜(ぼく)してその門出を祝した。「大(おおい)なる事業」ちょう言葉の宮の壮麗(うるわ)しき台(うてな)を金色の霧の裡に描て、渠はその古き城下を立ち出で、大阪京都をも見ないで直ちに東京へ乗込んだ。
 故郷の朋友親籍兄弟、みなその安着の報を得て祝し、更らに渠が成功を語り合った。
 然るに、ただ一人、「杉の杜のひげ」と綽名せられて本名は並木善兵衛という老人のみが次の如くに言った。
「豊吉が何を成就(しでか)すものぞ、五年十年のうちには必定(きっと)蒼くなって帰って来るから見て居ろ」
「何故?」その席にいた豊吉の友が問うた。
 老人は例の雪の様な髭髯(ひげ)をひねくりながら淋しそうに悲しそうに、意地の悪るそうに笑ったばかりで何とも答えなかった。