二葉亭四迷「新編浮雲」

 千早振(ふ)る神無月(かみなづき)も最早(もはや)跡二日(ふつか)の余波(なごり)となツた廿八日の午後三時頃に神田見附の内より塗渡(とわた)る蟻、散る蜘蛛の子とうよ/\ぞよ/\沸出(わきい)でゝ来るのは、孰(いづ)れも顋(おとがい)を気にし給ふ方々、しかし熟々(つらつら)見て篤(とく)と点検すると是れにも種々(さま〴〵)種類のあるもので、まづ髭から書立てれば口髭頬髯(ほゝひげ)顋(あご)の鬚(ひげ)、暴(やけ)に興起(おや)した拿破崙髭(なぽれをんひげ)に狆(ちん)の口めいた比斯馬克髭(びすまるくひげ)、そのほか矮鶏髭(ちやぼひげ)、貉髭(むじなひげ)、ありやなしやの幻の髭と濃くも淡(うす)くもいろ/\に生分(はへわか)る 髭に続いて差(ちが)ひのあるのは服飾(みなり)、白木屋仕込の黒物(くろいもの)づくめには仏蘭西皮(がわ)の靴の配偶(めうと)はありうち、之を召す方様(かたさま)の鼻毛は延びて蜻蛉(とんぼ)をも釣るべしという