上田秋成「貧福論」『雨月物語』より

 陸奥の国蒲生氏郷(がまふうぢさと)の家に、岡左内といふ武士(もののふ)あり。禄おもく、誉(ほまれ)たかく、丈夫(ますらを)の名を関の東に震ふ。此の士いと偏固(かたは)なる事あり。富貴をねがふ心常の武扁(ぶへん)にひとしからず。倹約を宗(むね)として家の掟をせしほどに、年を畳(つみ)て富み昌(さか)へけり。かつ軍(いくさ)を調練(たなら)す間(いとま)には、茶味翫香(さみぐわんかう)を娯(たの)しまず、庁上(ひとま)なる所に許多(あまた)の金(こがね)を布班(しきなら)べて、心を和(なぐ)さむる事、世の人の月花にあそぶに勝れり。人みな左内が行跡(ふるまひ)をあやしみて、吝嗇野情(やじやう)の人なりとて、爪(つま)はぢきをして悪(にく)みけり。
 家に久しき男(をのこ)に黄金一枚かくし持ちたるものあるを聞きつけて、ちかく召ていふ。「崑山(こんざん)の璧(たま)もみだれたる世には瓦礫にひとし。かかる世にうまれて弓矢とらん軀(み)には、棠谿(たうけい)・墨陽(ぼくやう)の剣(つるぎ)、さてはありたきもの財宝(たから)なり。されど良(よき)剣(つるぎ)なりとて千人の敵(あた)には逆(むか)ふべからず。金の徳は天(あめ)が下の人をも従へつべし。武士たるもの漫(みだり)にあつかふべからず。かならず貯へ蔵(をさ)むべきなり。儞(なんぢ)賤しき身の分限(ぶげん)に過ぎたる財(たから)を得たるは嗚呼(をこ)の業(わざ)なり。賞なくばあらじ」とて、十両の金を給ひ、刀をも赦して召つかひけり。人これを伝へ聞きて、「左内が金をあつむるは長啄(ちやうたく)にして飽(あか)ざる類(たぐひ)にはあらず。只当世の一奇士なり」とぞいひはやしける。