大町桂月「日の出」

 邦人多く月を賞すれども、未だ太陽を賞する者あるを聞かず。自然に対する審美眼、欠乏せるに非ずや。
 いらかの浪うつ都の中にのみ住める人は、ただ太陽の益を知りて其美を知るに由なかるべけれど、一たび高山の巓(いただき)にのぼりて、日の出を見よ。又海辺にゆきて日の入を見よ。そこに太陽がいかに美しきかを見よ。日出日没の際には、太陽は爛射する光線を収めて親しきなり。其大(おおき)さも昼間見ゆる所に幾倍するなり。而(しか)して水に映じ、朝霞暮靄(ちょうかぼあい)に映じ、粲然として陸離、その色彩の霊妙美麗なること、到底人間の手にては企て及ぶべからざる自然の大丹精なり。
 〔中略〕
 日の出を見るは、高山をよしとす。されど日没は海岸に於て見るに若かず。其気象、景致、日の出と同じけれど、而も暗より明に移ると、明より暗に移るとの差ありて、これを見る人の感情、また従つて一様なるを得ず。昼を光明の世界とせば、日の出に希望の色あり、日没に悲哀の色あるべし。夜を理想の世界とせば、即ち之に反せむ。要するに、太陽は其の出没の際に、美観を呈す。其間短くして、満月の終夜かがやくが如くなるを得ざれども、変化神異、気象雄偉、つぶさに宇宙の神秘をあらはす、余は彼を以て此にかへざるなり。