尾崎紅葉『金色夜叉』

車は駛(は)せ、景は移り、境(さかひ)は転じ、客は改まれど、貫一は易(かは)らざる其の悒鬱(いふうつ)を抱きて、遣る方無き五時間の独(ひとり)に倦(う)み憊(つか)れつつ、始て西那須野の駅に下車せり。
直ちに西北に向ひて、今(いま)尚(なほ)茫々たる古(いにしへ)の那須野原(なすのがはら)に入(い)れば、天は濶(ひろ)く、地は遐(はるか)に、唯平蕪(へいぶ)の迷ひ、断雲の飛ぶのみにして、三里の坦途(たんと)、一帯の重巒(ちようらん)、塩原は其処ぞと見えて、行くほどに跡(みち)は窮(きはま)らず、漸く千本松を過ぎ、進みて関谷村に到れば、人家の尽(つく)る処に淙々(そうそう)の響(ひびき)有りて、之に架(かか)れるを入勝橋(にふしようけう)と為す。
輙(すなは)ち橋を渡りて僅(わづか)に行けば、日光冥(くら)く、山厚く畳み、嵐気(らんき)冷(ひややか)に壑(たに)深く陥りて、幾廻(いくめぐり)せる葛折(つづらをり)の、後(うしろ)には密樹に声々(せいせい)の鳥呼び、前には幽草歩々(ほほ)の花を発(ひら)き、逾(いよい)よ躋(のぼ)れば、遥(はるか)に木隠(こがくれ)の音のみ聞えし流の水上(みなかみ)は浅く露(あらは)れて、驚破(すは)や、斯(ここ)に空山(くうざん)の雷(いかづち)白光を放ちて頽(くづ)れ落ちたる乎(か)と凄(すさま)じかり。道の右は山を𠠇(き)りて長壁と成し、石(いし)幽(ゆう)に蘚(こけ)碧(あを)うして、幾条(いくすぢ)とも白糸を乱し懸けたる細瀑小瀑(ほそたきこたき)の珊々(さんさん)として濺(そそ)げるは、嶺上(れいじやう)の松の調(しらべ)も、定(さだめ)て此(この)緒(を)よりやと見捨て難し。
俥(くるま)を駆りて白羽坂を踰(こ)えてより、回顧橋(みかへりばし)に三十尺の飛瀑を蹻(ふ)みて、山中の景は始て奇なり。之より行きて道有れば水有り、水有れば必ず橋有り、全渓にして三十橋(さんじツけう)。山有れば巌(いは)有り、巌有れば必ず瀑(たき)有り、全嶺にして七十瀑(しちじふばく)。地有れば泉有り、泉有れば必ず熱有り、全村にして四十五湯(しじふごたう)。猶数ふれば十二勝(しよう)、十六名所、七不思議、誰(たれ)か一々探り得べき。
抑(そもそ)も塩原の地形たる、塩谷郡(しほやごほり)の南より群峯(ぐんぽう)の間を分けて深く西北に入(い)り、綿々として箒川(ははきがは)の流(ながれ)に沂(さかのぼ)る片岨(かたそば)の、四里(より)に岐(わか)れ、十一里に亘りて、到る処巉巌(ざんがん)の水を夾(はさ)まざる無きは、宛然(さながら)青銅の薬研(やげん)に瑠璃末(るりまつ)を砕くに似たり。
先づ大網(おほあみ)の湯を過(すぐ)れば、根本山(ねもとやま)、魚止滝(うをどめのたき)、児ヶ淵(ちごがふち)、左靭(ひだりうつぼ)の険は古(ふ)りて、白雲洞(はくうんどう)は朗(ほがらか)に、布滝、竜ヶ鼻、材木石(いし)、五色石(ごしきせき)、船岩(ふないは)なんどと眺(ながめ)行けば、鳥井戸、前山(まへやま)の翠(みどり)衣(ころも)に染みて、福渡(ふくわた)の里に入(い)るなり。
途(みち)すがら前面(むかひ)の崖の処々(ところどころ)に躑躅(つつじ)の残り、山藤の懸(かか)れるが、甚だ興有りと目(め)留まれば、又此辺(このあたり)殊に谿(たに)浅く、水澄みて、大いなる古鏡(こきやう)の沈める如く、深く蔽へる岸樹(がんじゆ)は陰々として眠るに似たり。貫一は覚えず踏止(ふみとどま)りぬ。