斎藤緑雨の寸言集より

○一歳の者を以て、十歳の者に比較すれば、実に十分の一なれども、それよりたがひに十年を経たりとせよ、十歳と二十歳は、僅(わづか)に二分の一のみとは、或(ある)道の先輩がしたり顔なるに激したる人の言なり。興ありといふべし。(「ひかへ帳」)
○善も悪も、聞ゆるは小なるものなり。善の大なるは悪に近く、悪の大なるは善に近し。顕るるは大なるものにあらず、大なるものは顕るることなし。悪に於て殊に然りとす。(「眼前口頭」)
○強気を挫き弱気を扶(たす)く、世に之れを俠(けふ)と称すれども、弱(じやく)に与せんは容易(たやす)き事なり、人の心の自然なり。義理名分(めいぶん)の正しき下(もと)に、強(きよう)に与せんはいといと難し。悶ゆる胸の苦(く)少(すくな)きを幸福といはば、弱者は強者よりも寧ろ幸福なり。(「眼前口頭」)
○理(り)ありて保たるる世にあらず、無理ありて保たるる世なり。物に事に、公平ならんを望むは誤(あやまり)なり、惑(まどひ)なり、慾深き註文なり、無いものねだりなり。公平ならねばこそ稍(やや)めでたけれ、公平を期すといふが如き烏滸(をこ)のしれ者を、世は一日(じつ)も生存せしめず。(「眼前口頭」)
○それが何(ど)うした。唯この一句に、大方の議論は果てぬべきものなり。政治といはず文学といはず。(「眼前口頭」)
○使ふべきに使はず、使ふべからざるに使ふ、是れ銭金の本質にあらずや。疑義を挟むを要せず。(「青眼白頭」)
○按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし。(「青眼白頭」)
○人類と猿類の区別を究むるも、亦須要(すうえう)の一学科なりとは、坪井博士の言(げん)也。易きほどの事哉(かな)、そは只繫がれたる鎖の目に見ゆると、見えざるとのみ。(「半文銭」)
○花のハデを経ざれば、実のジミは来らず。気障(きざ)も花なり、厭味も花なり、青年は寧ろ欠点あれかし。(「半文銭」)