福田恆存「論争のすすめ」

 今日、民主主義は「話合ひ」の政治だと言ひ、暴力の防波堤だと言ふ。しかし、ディアレクティックとレトリックを欠いた言論は暴力であり、暴力を誘発する。私は力と力との衝突を目的と目的との衝突と解するから、それを否定しない。だから、それを論争といふ代償行為に流しこめと言ふのだ。民主主義といふのは論争の政治である。それを「話合ひ」の政治などと微温化するところに、日本人の人の好さ、事なかれ主義、生ぬるさ、そして偽善があるのだ。和としての「話合ひ」ではない、勝負としての論争が必要なのである。たがひに自分の方が真なることを証明しあひ、時には相手をごまかしてやるがよい。ごまかされた方が悪いのだ。ごまかしは悪であり、そのための雄弁は悪であるといふ偽善国に、民主主義が発達したためしはない。ソフィストを生んだのは、民主主義の元祖である古代ギリシアではなかつたか。