寺田寅彦「言語と道具」

 人間というものがはじめてこの世界に現出したのはいつごろであったかわからないが、進化論にしたがえば、ともかくも猿のような動物からだんだんに変化してきたものであるらしい。しかしその進化のいかなる段階以後を人間と名づけてよいか、これもむつかしい問題であろう。ある人は言語の有無をもって人間と動物との区別の標識としたらよいだろうと言い、またある人は道具あるいは器具の使用の有無を準拠とするのが適当だろうと言う。私にはどちらがよいかわからない。しかしこの言語と道具という二つのものを、人間の始原と結びつけると同様に、これを科学というもの、あるいは一般に「学」と名づけるものの始原と結びつけて考えてみるのも一種の興味があると思う。
  〔中略〕
 道具を使うということが、人間以外にもあるという人がある。蜘蛛が網を張ったり、ある種の土蜂(つちばち)が小石をもって地面をつき堅めるのがそれだという。しかしそれは智恵でするのではなくて本能であると言って反対する人がある。それはいずれにしても、器具というものの使用が人類の目立った標識の一つとなることは疑いないことである。
 そして科学の発達の歴史は、ある意味においてこの道具の発達の歴史である。
 古い昔の天測器械や、ドルイド(古代ケルト人の宗教)の石垣などは別として、本当の意味での物質科学の開けはじめたのは、フロレンスのアカデミーで寒暖計や晴雨計などが作られて以後と言ってよい。そして単に野生の木の実を拾うような「観測」の縄張りを破って、「実験」の広い田野(でんや)をそういう道具で耕しはじめてからのことである。ただの「人間の言語」だけであった昔の自然哲学は、これらの道具の掘り出した「自然自身の言語」によって内容の普遍性を増していった。質だけを表わす言語にかわって、数を表わす言語の数が次第に増していった。そうして今日の数理的な精密科学の方へ進んで来たのである。
 言語と道具が人間にとって車の二つの輪のようなものであれば、科学にとってもやはりそうである。理論と実験――これが科学の言語と道具である。