織田作之助「アド・バルーン」

 私の文子に対する気持は世間でいふ恋といふものでしたらうか。それとも、単なるあこがれ、ほのかな懐しさ、さういつたものでしたらうか。いや、少年時代の他愛ない気持のせんさくなどどうでもよろしい。が、とにかく、そのことがあつてから、私は奉公を怠けだした。――といふと、あるひは半分ぐらゐ噓になるかも知れない。そんなことがなくても、そろそろ怠け癖がついてゐるのです。使ひに行けば油を売る。鰻谷(うなぎだに)の汁屋の表に自転車を置いて汁を飲んで帰る。出入橋(でいりばし)の金つばの立食ひをする。かね又といふ牛めし屋へ「芋ぬき」といふシュ(ママ)チューを食べに行く。かね又は新世界にも千日前にも松島にも福島にもあつたが、全部行きました。が、こんな食気よりも私をひきつけたものはやはり夜店の灯です。あのアセチリン瓦斯(ガス)の匂ひと青い灯。プ(ママ)ロマイド屋の飾窓に反射する六十燭光の眩(まばゆ)い灯。易者の屋台の上にちよぼんと置かれてゐる提灯の灯。それから橋のたもとの暗がりに出てゐる蛍売りの蛍光の瞬き……。私の夢はいつもさうした灯の周りに暈(かさ)となつて、ぐるぐると廻るのです。私は一と六の日ごとに平野町に夜店が出る灯ともし頃になると、そはそはとして、そして店を抜け出すのでした。それから、あの新世界の通天閣の灯。ライオンハミガキの広告燈が赤になり青になり黄に変つて点滅するあの南の夜空は、私の胸を悩ましく揺ぶり、私はえらくなって文子と結婚しなければならぬと、中等商業の講義録をひもとくのだつたが、私の想ひはすぐ講義録を遠くはなれて、どこかで聞えてゐる大正琴に誘はれながら、灯の空にあこがれ、さまよふのでした。