ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫 訳)

自然という時計の針は、断固としていて無慈悲だった。最後の歯、親知らずがはえきったとき、おれは考えなければならなかった。いや、考えるまでもなく分かっていた――発育は終わったのだ。避けようにも避けられぬ殺戮のときが来たのだ。使命を終えたさなぎのむくろをふり捨てて飛びたってゆくちょうのよう、悲しみのあまりふるえおののく少年を男は殺さなければならぬのだ。霧から、混沌から、濁った溢れ水から、渦巻きから、ざわめきから、流れから、よしあしから、蛙の鳴き声から、澄みきった結晶体の乱れを見せぬ形式のただなかへと、おれは移ってゆかねばならぬ――髪の乱れを整えたうえ、秩序正しく大人たちの社会の生活のなかへ入って行って、かれらと話をまじえねばならぬのだ。

   ※太字は出典では傍点