ホラティウス『詩論』
努めて簡潔さを求めると,曖昧になる.
(ホラティウスはここで,これ以外にも「洗練を狙うと,力強さと気迫が失われる」,「荘重さを表に掲げると,誇張におちいる」と言っている.これは伝統的に尊重されている三つの文体――「簡潔」「中間」「壮大」――に対応していて,これらにはみな,こういう落とし穴がありますぞという警告になっている.)
(【参考】アリストテレス『弁論術』:「だらだらと長過ぎても,かといって,つめ過ぎても,表現は明瞭にはならない,いや,その中間がぴったりするのは言うまでもないことである」
ホラティウス『風刺詩』:「思考が走るためには,簡潔さが必要だ」.「簡潔さ」と「思考が走ること」が組になっているのが大事な点.つまり,つねに,言うべきことをぴたりと言い当てる適切な語を選ぶことによって,不要な語句を省くことができる,それによって,読む者の思考が滞ったり枝道に踏み込んだりせず,すらすらと快く進んで行く,ということ.だから,「簡潔」というよりは「凝縮された表現」という方がよいかもしれない.しかしそれでも,本人はうまく凝縮できたつもりでも,はたの者にとっては,はじめのホラティウスの警告どおり,何を言っているのか曖昧で読みづらいということになるおそれがあることは,いつも警戒しなければならないだろう.)