笙野頼子『説教師カニバットと百人の危ない美女』

 手紙の文体はどれも結構似ている。うるさい程の敬語、年齢がすぐ判る趣味や固有名詞、無駄な淑やかさ、不毛な上品さ、空回りする清楚さ、わざとらしい女らしさ、建前とルサンチマンの激しい葛藤、歪んだ世界認識、ずれまくりの自己像、そして、「鬱勃たるパトス」……「古風で引っ込み思案で世間知らずな、心のきれいな乙女、自信をなくした今の男性がまさに待ち望むような女らしい女」、そんな馬鹿な。現代の小説の文体にはこういう女性を形容する言葉なんかない。強いて古臭く言ってみると……。


 ああ皆様、ご覧になったでしょうこの恐るべき文章、高貴なる令嬢にして絶世の美人、巣鴨こばと会残党リーダー格の、この不幸なる女の内面の恐るべき吐露……。


(中略)
 ……並の男も無頼派の男も団塊の男も遊び人の男も、フェチの男もマチズモの男も大金持ちで殺人願望のあるサディストの男も、負債三十億イレズミ総身の青年実業家も、全身から四ビートフェロモン出しまくりの千人切りベーシストも、どんな男だって彼女達を見ただけで、まるで、大型時代劇の、合戦シーンにつきものの娘達のように、衣装を翻して絶叫しながら、逃げまどうしかない。そう、それなのに彼女達は救われようとしているのだ。結婚によって。


 結婚によってだよ、「救われる」だって。


 今日日、まともに生活力があって普通に常識があって人並みの体力があって米の研ぎ方くらい知っていたら、それで地方から無事に都会へと逃げて来られていたら、結婚なんかただの「出来心」、だよ。少なくとも定年まで勤められる職場の女ならばな。