石川淳『普賢』

 明くる朝、正午近く眼を覚ますと……だが、わたしにとつて朝眼を覚ますといふことほど不思議な事件はないのだ。わたしは床の中でまたも日の光の下に蘇つた我が手足を撫でながら、ああまだこのからだは生きてゐるのかと、恰も自分ではない微生物を指先に摘(つま)み上げて見るごとく、いましがた浮き出たばかりの仮睡の世界、夢と現(うつつ)とのあはひの帷(とばり)を愛惜しつつ、数本の煙草を茫然とくゆらすのであるが、〔……〕。