2013-12-20から1日間の記事一覧

石川淳『普賢』

明くる朝、正午近く眼を覚ますと……だが、わたしにとつて朝眼を覚ますといふことほど不思議な事件はないのだ。わたしは床の中でまたも日の光の下に蘇つた我が手足を撫でながら、ああまだこのからだは生きてゐるのかと、恰も自分ではない微生物を指先に摘(つま…

夏目漱石『明暗』

強ひて寐ようとする決心と努力は、其決心と努力が疲れ果てゝ何処かへ行つてしまつた時に始めて酬ひられた。彼はとう/\我知らず夢の中に落ち込んだ。

田中小実昌『自動巻時計の一日』

便所でしゃがみこんでるあいだ、おれは古新聞をよむ。おなじ新聞の、おなじところを、なんどもよむことがある。そして、シャクにさわることが書いてあると、うれしい。どうして、こう、バカなんだろうと、シャクにさわることを、いったり、書いたりしたやつ…

石川淳『珊瑚』

機の熟するのを待つといふか。今がそのときだ。この城のあるじは半身不随の寝たつきりで、内外ともに見はなしてゐる。げんに、一服盛つて跡を乗取らうといふ忠臣に不自由しない。そして、その忠臣の中にもわしの一党がひそんでゐるとしたら、どんなものだ。…

尾崎一雄『毛虫について』

夜明前、薄暗い頃、エンドウ畑の側に立っていると、無数の虫共の葉を嚙む音を聞くことが出来る。田舎の、しんとした夜明前、小さな、しかし無数の口によって発せられる音のない音が、こんな音になるのかと、一度聞いた人は驚くだろう。ぞりぞりぞりと云うよ…

野上彌生子『秀吉と利休』二十

しかも秀吉の執着は、親しみや懐かしみとは絶縁されていた。秀吉はかえって利休を憎んだ。今日の始末になってまで思いだされることのすべてが、彼の貴重さの証をなし、なくてはならぬものとしての価値づけをあらたにする。この腹だたしさはいままでの尊敬や…

野上彌生子『秀吉と利休』二十

それは秀吉の一種のみれんともいうべき、利休に対する絶ちがたい執着であった。あれほど散々にとっちめ、面(つら)も見たくない、地獄のどん底に失せろ、とまで怒鳴りつけてやった男が、さて身辺から消え去るとともに、いかに大事なものを失ったかが痛感され…

野上彌生子『秀吉と利休』七

たしかにそれは利休でありながら、利休ではなかった。安慶の鋭いのみは原型の骨格、肉づけ、面、筋、引き締まり、たるみ、盛りあがり、くぼみ、明るみ、かげり、肉体の細部のいっさいを、人間のからだに二つはないほど、的確に彫りあげたにはとどまらない。…

司馬遼太郎『豊臣家の人々』、第九話

秀吉はつねにおのれの本心を首筋の血管のように露呈している男であり、つねに本気であり、たとえうそをつくときでも本心からうそをつけるめずらしい種類の男であった。誠実は一筋しかないという愚鈍さはかれにはなく、かれにあっては誠実も本心もその体内の…

花田清輝『さちゅりこん』

しかし、挫折とはなにか。成功とはなにか。挫折者が成功者ではなく、成功者が挫折者ではないと誰が保証することができよう。

芥川龍之介『或阿呆の一生』

僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。しかし不思議にも後悔してゐない。

川端康成『舞姫』

波子はだまつてゐたが、胸の底に、冷たい炎がふるへた。

川端康成『舞姫』

波子の身の上相談も、愛の訴へに聞えた。それだけの年月が、二人のあひだに流れてゐた。この年月は、二人のつながりでもあり、へだてでもあつた。