太宰治『人間失格』

 しかしまた、堀木が自分をそのやうに見てゐるのも、もつともな話で、自分は昔から、人間の資格の無いみたいな子供だつたのだ、やつぱり堀木にさへ軽蔑せられて至当なのかも知れない、と考へ直し、
「罪。罪のアントニムは、何だらう。これは、むづかしいぞ。」
 と、何気無ささうな表情を装つて、言ふのでした。
「法律さ。」
 堀木が平然とさう答へましたので、自分は堀木の顔を見直しました。近くのビルの明滅するネオンサインの赤い光を受けて、堀木の顔は、鬼刑事の如く威厳ありげに見えました。自分は、つくづく呆れかへり、
「罪つてのは、君、そんなものぢやないだらう。」
 罪の対義語が、法律とは! しかし、世間の人たちは、みんなそれくらゐに簡単に考へて、澄まして暮してゐるのかも知れません。刑事のゐないところにこそ罪がうごめいてゐる、と。