ジョン・ファウルズ『フランス軍中尉の女』

 その日、大きな防波堤は閑散と云うには程遠かった。漁師達は舟にタールを塗り、網を繕い、カニやエビを獲る籠を手入れしていた。もう少し上の階級の、早々と出かけて来た行楽客や地元の住民達は、依然潮は満ちてきているものの今や凪いでいる海の傍らをそぞろ歩いていた。じっと海の彼方を見つめていたあの女の姿は、チャールズの見る限り何処にも無かった。だが彼は女について――或いは突堤(コブ)について――それ以上考えはせず、町での普段の物憂げな歩き方とは随分違った、きびきびと揚々たる足取りでもって、目的地めざして、ウェア・クリーヴズを見上げる浜辺を歩いていった。
 彼の姿は読者の微笑を誘ったことであろう。己れの役柄に相応しい服装を、彼は入念に準備してきたのであった。裏に鋲を打った頑丈な編上げ靴を履き、カンバス地の長いゲートルは分厚いフランネルノーフォーク半ズボンを包み込んでいる。これに合わせて、ぴっちりときつい、恐ろしく長いコート。何の生地とも定め難い広縁の中折れ帽。巨大なトネリコのステッキ、これは突堤に来る道中に購入した。たっぷり入りそうなリュックサックを逆さにして振れば、ずっしり重い金槌、包装材、ノート、薬箱、手斧、その他得体の知れぬ品々が落ちてきたことであろう。我々にとって、ヴィクトリア朝の人々の几帳面さほど理解し難いものはない。それが一番よく分かるのは(すなわちその最も馬鹿げた実例が見られるのは)ベデカーの初期の版が旅行者に惜しみ無く与えている一連の忠告である。一体こんな調子で、何が楽しかったであろう? チャールズについて言うなら、軽装の方が楽だとどうして彼には思いあたらなかったのか? 帽子なんか必要無いと? 裏に鋲を打った頑丈な編上げ靴など、丸石のごろごろした浜辺ではアイススケートと同じくらいの適切さしか無いと?