島尾敏雄『夢の中での日常』

 私はスラム街にある事前事業団の建物の中にはいって行った。その建物の屋上で不良少年達が集団生活をしていると言う聞き込みをしたので、私もその仲間に入団しようと考えたからだ。それは何も、私より一廻りも年若い新時代の連中と同じ気分になって生活が出来ると考えた訳ではない。ただ私は最近自分を限定したので、いわばその他の望みがなくなってしまったように錯覚したのだった。つまり自分はノヴェリストであると思い込むことに成功した。所が世間で私がノヴェリストであるとして通用することは出来なかった。私はまだ一つとして作品を完成したことも発表したこともなかったから。ただ長い間私は作品を仕上げようとしていたのだ、と言うことは出来た。私は中学に通う年頃から変節し通しで、はた目には、はがゆい限りであったと見える。というのも私が、はっきり自分がノヴェリストになるのだということを表現するのを恥ずかしがっていたからだ。自分がまだどうにでもなる余地が残っているとたかをくくっていたからだ。所が三十を過ぎても何一つ技術を身につけていないことを知った時に私は慄然とした気分になった。こんなに色々なものが進歩してしまった世の中で、技術を一つも持っていないということは寧ろ罪悪であるようにさえ思われた。苦しまぎれに自分にも、とに角(かく)三十年近い現世の生活をして来たのだからその内には何か一つ技術らしいものを習得しているだろうという考えに辿りついた。そしてそれがノヴェルを書こうとしていたことに落ち着いた訳だ。そこで一つの作品を完成することに着手した。すると表現ということが重くのしかかって来て、私は自分の技術を殆んど見限った。然しそのことについて絶望ということを時には口にしながらも食事をとり睡眠し排泄して、その間にペン字で埋めた原稿用紙を重ねて行った。そういうことに一年間がまんした。そして出来上ったものはたった百二十枚しかなかった。自分で読み返してみるとそれはひどく不明瞭なものであった。文字を重ねて行っただけで、神の寵愛も悪魔の加担も認められない。文字の集積という点にしても貧弱なものだ。所がその百二十枚が買上げられることになった。そんなことがあるものだろうか。私はそれは一種の茶番ではないかと疑った位だ。大したことじゃないのだ。それは君、一杯のカルピスだよと教えて呉れるような人がいた。